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「船上山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

船上山の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
単独行」より 著者:加藤文太郎
に下山を皮切りに、九月には大峰山脈を縦走し大台ヶ原山に登った。十月には大山に登り船上山へ廻ってみた。大正十五年七月中頃には岩間温泉へ下山、七月終りには中房温泉か....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
のが多いのである。云わば約束手形が沢山出されていたのである。 後醍醐天皇が伯耆船上山に御還幸の時、名和長重は「古より今に至るまで、人々の望む所は名と利の二也」....
私本太平記」より 著者:吉川英治
待って、近くの加茂の村社へお迎えいたし、そこでお身支度のうえ、ここより東二里余の船上山へ安んじ奉りたいとぞんじまする」 「船上山へ」 「そこも大山のうちです。鳥....
私本太平記」より 著者:吉川英治
東の数万騎を引きよせたまま、いよいよゆるぎもせぬという。 そのうえ、はるか伯耆船上山の行宮からも、千種ノ中将|忠顕が、山陰中国の大兵を組織して、丹波ざかいから....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た。――都門還幸の後醍醐の龍駕であった。 路次の日誌によれば。 さきに伯耆の船上山を立たれた帝の瑶輿(こし)は日をかさねて、二十七日、播磨の書写山まで御着。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
かった。 当年――元弘三年三月に起った博多合戦とその前後のことは――もう先に“船上山”の条から“博多日記”のあたりで一おう書いておいた。 けれどなお、かさね....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
までをほぼ収めたい。 だが、さしあたっては、隠岐脱出の帝をたすけて、名和長年が船上山に拠る経緯をつづってゆく。 幸田露伴氏にも“戯曲名和長年”の一作がある。....