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船問屋
「船問屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
船問屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「河明り」より 著者:岡本かの子
々神経痛を宥めるらしい妙な臭いの巻煙草を喫った。 「寛永時分からあった菱垣廻船の
船問屋で残ったものは、手前ども堺屋と、もう二三軒、郡屋と毛馬屋というのがございま....
「縮図」より 著者:徳田秋声
の水運により、三十五|反帆が頻繁に出入りしたものだったが、今は河口も浅くなり、廻
船問屋の影も薄くなったとは言え、鰹を主にした漁業は盛んで、住みよい裕かな町ではあ....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
ップに唇をつけるころには、葉子の顔も次第に幸福そうに輝いて、鉄道の敷けない前、廻
船問屋で栄えていた故郷の家の屋造りや、庸三の故郷を聯想させるような雪のしんしんと....
「巌流島」より 著者:直木三十五
所《ありか》を探してと二三の家来を出して、下の関の宿屋を求めさせた。すると果して
船問屋小林太郎左衛門の家《うち》に居た。主命を告げると武蔵一書をかいて家臣の者に....
「松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
ルを石井山三|郎という侠客にして、此の石井山三郎は、相州浦賀郡東浦賀の新井町に※
船問屋で名主役を勤めた人で、事実有りました人で、明和の頃名高い人で、此の人の身の....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
は住みすてた邸《やしき》もある。池の中には何かしらが残っていよう。深川佐賀町の廻
船問屋には自分の妹が片附いている。商人には障《さわ》りがなかったということが彼を....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
ぶだけでさえ小癪《こしゃく》にさわる――そうした気風の彼女だった。深川佐賀町の廻
船問屋石川屋佐兵衛の妻女――なれのはてではあったが、とにかく代言人長谷川氏の家を....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
に丸亀港へ着いた。この港はもっぱら金比羅詣の船が着く処で、旅人の往来も頻繁だから
船問屋兼業の宿屋も数々あった。私もある宿屋に投じ、暫く休息した。これから乗る船は....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
、ほしがると何んでもやったというふうにいったが、母は、深川の豪商、石川屋という廻
船問屋の御新造で、花菊といった自分の伯母さんの手|許《もと》に、小間使をしていた....
「青春論」より 著者:坂口安吾
島へ送られる筈であったが、彼自身の考えがあって、ひそかに行方をくらまし、下関の廻
船問屋小林太郎左衛門の家へ泊った。 翌日になって、もう小次郎が船島へついたとい....
「蛍」より 著者:織田作之助
で、下りも同様、自然伏見は京大阪を結ぶ要衝として奉行所のほかに藩屋敷が置かれ、荷
船問屋の繁昌はもちろん、船宿も川の東西に数十軒、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
追放した。というのは、左近はそのころ船舶通運を支配するような職にあったが、大阪の
船問屋が事故を起して彼の取調べをうけていた。左近はその
船問屋を懲罰釈放するに当っ....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
され」 また平八は駕籠へ乗った。 「日本橋だ、河岸へやれ」 下りたところに廻
船問屋、加賀屋というのが立っていた。 「許せよ」 と平八はズイとはいった。 「....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
されました。まだ東海道の汽車が全通しない頃でありましたから、私たちは横浜へ出て、
船問屋の西村から汽船で神戸へ着き、後戻りをして奈良へ参り、奈良と京都の二ヶ所につ....
「白い影」より 著者:小川未明
ものの、とにかく汽車を脱線さした責任から退職させられて、いまでは、町に近い港の汽
船問屋に勤めていたのであります。 もう秋も末のことでありました。今夜にも、冬が....