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船津
「船津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
船津の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「律子と貞子」より 著者:太宰治
府市である。甲府からバスに乗って御坂峠《みさかとうげ》を越え、河口湖の岸を通り、
船津を過ぎると、下吉田町という細長い山陰《やまかげ》の町に着く。この町はずれに、....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
とし幸福なる山境として諸賢の御満足を御期待致し得るは穂高小屋最上の愉快に候、尚ほ
船津営林署に於ては蒲田温泉より白出沢を通じて当小屋に至る三尺幅の新道を開通し完全....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
木半次郎、大野仁平、同徳太郎、河村武友、林直規、尾崎臻、鬼木栄二郎、上野太四郎、
船津権平、岩佐専太郎、杉山灌園(以上仕手、脇方。その他囃子方、狂言方等略) ま....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
毒でございますが、何しろ、昨日今日……」 「やっぱり知らないと申すか。しからば、
船津へ出る道、そのくらいは知っているだろう」 「それもその……」 「それも知らん....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
りも先に口を切ったのは、黒部平の品右衛門爺さんでありました。 「わしも、平湯から
船津《ふなつ》へ越さざあならねえから、一緒に高山までおともをしてもいいでがんす」....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
取の海とすれば、香取のどの地位に船を碇泊せしめたかということです。下総の香取に大
船津《おおふなづ》というところがあるにはありますが、仮りにあの辺に船を回漕せしめ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いらしい。 利根の流れをズンズンと浪逆浦《なみさかうら》へ出て、多分、鹿島の大
船津《おおふなつ》を目的とするものだろうと思われる。つまり、香取の神宮へ参拝して....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
高山で――と決心の臍《ほぞ》を固めました。 高山へ行けば、あれを後ろに廻って、
船津《ふなづ》から越中へ出る街道がある。南へ折れれば南信濃か、岐阜方面へ出るが、....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
乗鞍にも当るし現在の位山にも当ると云っている。 しかし乗鞍の麓には船山はないが
船津がある。今は神岡町であるが、昔から有名な船つき場で、今の町名の神岡が古い名か....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
船に帰る。カントン往復水路、およそ百九十マイルあり。午時領事館に至り、総領事代理
船津辰一郎氏に面会し、同氏の好意により香港倶楽部楼上において午餐を喫す。窓前に踞....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
ばき、川口を出るとたんにキリキリと張り揚げるばかりに支度をしていた。 その間に
船津橋をくぐってすぐに左の三角|洲、えびす島の船番所で、川支配の役人から定例のと....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
では井戸のことである。他ではまだ同じ名は耳にしないが、紀州の有田郡、飛騨の高山や
船津、東北では伊達郡の掛田などでこれをイドグサと呼んでいる。富山県の射水郡ではイ....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
、上南部の熊岡、東内原の原谷にもあり、西内原の池田の大師堂の近くにもありました。
船津の阪本の弘法井は、今でも路通る人が花を上げお賽銭を投げて行きます。高家の水飲....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
空模様が怪しかったので、東毛無山(三峠山の南肩)の登山を止め、湖水を見物しながら
船津まで来て、鉄道馬車にて大月に出で、其日の中に帰京した。 精進湖は南岸に堆積....