»
船渡
「船渡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
船渡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
何事がおこったんです」 「まあ、お聴きください。毎度お話をする通り、嘉永六年の黒
船渡来から、世の中はだんだんに騒がしくなって、幕府でも海防ということに注意する。....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ば奥州寄りの岸のほとりに一人の座頭が立っていた。坂東太郎という利根の大河もここは
船渡しで、江戸時代には房川の渡しと呼んでいた。奥州街道と日光街道との要所であるか....
「西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
井生森は船中で一泊して、翌日は堺から栗橋、古河へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の
船渡へ荷を揚げて、其処に井上と申す出船宿で、中食も出来る宿屋があります。井生森は....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
人の書き送ったもので、黒船騒ぎ当時の様子を伝えたものであった。 「このたび、異国
船渡り来り候につき、江戸表はことのほかなる儀にて、東海道筋よりの早注進矢のごとく....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
その日の会見はあまり細目にわたらないようにとの徒士目付の注意もあって、平助は異国
船渡来以後の諸大名諸公役の頻繁な往来が街道筋に及ぼした影響から、和宮様の御通過、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
んとて右の乳房を枯らす(古ギリシア女人国話の引き写しだ)、毎年某の月に日本より商
船渡り、まず二人を女王に使わし船員の数を告ぐれば、王何の日に一同上陸せよと命ず、....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
立つ砂埃は用捨なく、乗客を襲うので、これには随分閉口した。川口は幕府の時と違って
船渡しの手当も充分であるし、また冬の季節でもあったから、別に川止めにも出会わず無....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
は違うが、譬喩は譬喩らしくいいところがある。 ○ 宇治川を
船渡せをと喚ばへども聞えざるらし楫の音もせず 〔巻七・一一三八〕 作者不詳 「山....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
のいぶせさ、峰に登れば日月をいただく如し。谷に下れば穴に入るが如し。河たけくして
船渡らず、大石流れて箭をつくが如し。道は狭くして繩の如し。草木繁りて路みえず。か....
「或る農学生の日誌」より 著者:宮沢賢治
岩《でいがん》の露出《ろしゅつ》を見てそれからだんだん土性を調《しら》べながら小
船渡《こぶなと》の北上《きたかみ》の岸《きし》へ行った。河《かわ》へ出ている広い....
「十六日」より 著者:宮沢賢治
まで。)(ええ、峠《とうげ》まで行って引っ返《かえ》して来て県道《けんどう》を大
船渡《おおふなと》へ出ようと思います。) (今晩《こんばん》のお泊《とま》りは。....
「奥の海」より 著者:久生十蘭
陸中の一ノ関から大槌街道へ折れ込み、千厩《ちうまや》から気仙沼を一日で廻って、大
船渡《おおふなわたし》の湊に二日いた。 陸前竹崎まで戻って、遠野街道をとり、岩....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
ざるはなし。衰滅期の浮世絵は全く今日《こんにち》の新聞紙に等しき任務を帯びぬ。黒
船渡来と浦賀《うらが》の海防|並《ならび》に異人《いじん》上陸接待の状《じょう》....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
とは出来ない。その普通人民の下に最下族というのがある。その最下族というのは漁師、
船渡、鍛冶屋、屠者の四つである。鍛冶屋はなぜ最下族の中に入って居るかといいますに....
「古事記」より 著者:太安万侶
ような次第で新羅の國をば馬飼《うまかい》とお定め遊ばされ、百濟《くだら》の國をば
船渡《ふなわた》りの役所とお定めになりました。そこで御杖を新羅の國主の門におつき....