花鳥風月[語句情報] »
花鳥風月
「花鳥風月〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
花鳥風月の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
かもその風呂が高く出来ているので、男女ともに中途の階段を登ってはいる。石榴口には
花鳥風月もしくは武者絵などが画いてあって、私のゆく四丁目の湯では、男湯の石榴口に....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
だよ。九十年のながい間にわしのして来たさまざまのことがほんに夢のような気がする。
花鳥風月の遊びも、雪の野路の巡礼も、恋のなやみやうれしさも、みんな遠くにうたかた....
「俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
形式の上からは自分の感情を直写しているようでも、そこではやはり、その自分の感情が
花鳥風月と同様な一つの対象となっていて、それを別の観察者としての別の自分が観察し....
「父杉山茂丸を語る」より 著者:夢野久作
この家を潰すつもりですから、御両親もそのおつもりで、この家が潰れるのを楽しみに、
花鳥風月を友として、生きられる限り御機嫌よく生きてお出でなさい」 その時はまだ....
「旅愁」より 著者:横光利一
の抽象性のない筈はないので、それがあればこそ、伝統を代表しているのだから、俳句は
花鳥風月というような自然の具体物に心を向けるといっても、その精神は具体物を見詰め....
「相対性原理側面観」より 著者:寺田寅彦
すぐれたものの研究をすすめたい。多くの人は一見乾燥なように見える抽象的系統の中に
花鳥風月の美しさとは、少し種類のちがった、もう少し歯ごたえのある美しさを、把握し....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
があるのが普通である。しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、上にも述べたように
花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識してい....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
逆に反駁《はんばく》しておかねばならぬ。なぜなら通俗の見解は、しばしば詩人を以て
花鳥風月の徒と解し、吾人を一種の風流扱いにするからだ。実に我々詩人の心外に堪えな....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
るために詩を作った。彼の東湖の正気歌とか獄中作なども伝えられていたので、私も徒に
花鳥風月を詠ずる時勢に非ずと思い、何か理窟ぽい議論めいた事のみを述べて、いよいよ....
「軽女」より 著者:上村松園
る、あのお軽には、わたくしは限りない好ましさを感じるのである。 山科に隠栖し、
花鳥風月をともにして、吉良方の見張りの眼を紛らわしていた大石内蔵助は、しかし、そ....
「恐怖の季節」より 著者:三好十郎
立てている当人自身にとって批評が全身心を張ったものではない。つまり皮肉なことに、
花鳥風月を叩きつけている当人にとって、その論そのものが
花鳥風月、つまり「第二仕事....
「思い出草」より 著者:岡本綺堂
加之その風呂が高く出来ているので、男女ともに中途の蹈段を登って這入る。石榴口には
花鳥風月もしくは武者絵などが画いてあって、私のゆく四丁目の湯では、男湯の石榴口に....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
こもったりしたらしいことも、それを暗示するものかもしれない。だから西行といえば、
花鳥風月を友として悟りすました人のように思うのはあたらないので、花月につけても傷....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
らしかったが、経書禅学の師として奉じていた浄土寺の円満坊から、ある折、 (いまは
花鳥風月を詠んでいるときではないでしょう。お祖父さまのような境界のお方はべつです....
「軽井沢にて」より 著者:正宗白鳥
しめるであろうか。 この物語のなかの人物は、男女ともまだ二十にもならぬ前から、
花鳥風月のたしなみが豊かで、虫の声、木の葉のそよぎ、露の置きどころにも心を動かし....