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芳年
「芳年〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
芳年の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
《ことば》を聞いていたが、静にその硝子戸棚の前を去って、隣のそれに並べてある大蘇
芳年《たいそよしとし》の浮世絵の方へ、ゆっくりした歩調で歩みよると、
「じゃこの....
「野分」より 著者:夏目漱石
《とよくに》の田舎源氏《いなかげんじ》を一枚一枚はぐって行く時の心持である。男は
芳年《よしとし》の書いた討ち入り当夜の義士が動いてるようだ。ただ自分が彼らの眼に....
「聖アレキセイ寺院の惨劇」より 著者:小栗虫太郎
う。一八七五年と云えば、日本では違警罪布告以前で刑事警察の黎明期だ。ちょうど大蘇
芳年の血みどろな木版画が絵草紙屋の店頭を飾っていた邏卒時代なんだが、その頃ドナウ....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
然う聞けばお前さんの顔に似てえる」 侍「何が」 ○「いえ、そら久しい以前絵に出た
芳年の画いたんで、鰐鮫を竹槍で突殺している、鼻が柘榴鼻で口が鰐口で、眼が金壺眼で....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
、その発達の少くとも一つの原因をなしていると考えられる。 絵画でいうなら、かの
芳年の非常に残忍な絵が一時非常に流行したことを憶い比べても、日本人という人種が単....
「江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
のが最も名高かった。戦争の後ですから惨忍な殺伐なものが流行り、人に喜ばれたので、
芳年の絵に漆や膠で血の色を出して、見るからネバネバしているような血だらけのがある....
「木の子説法」より 著者:泉鏡花
な大きな腹が、蒼ざめた顔して、宙に倒にぶら下りました。……御存じかも知れません、
芳年の月百姿の中の、安達ヶ原、縦絵|二枚続の孤家で、店さきには遠慮をする筈、別の....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
は聞いておかない――返す刀で、峨々たる巌石を背に、十文字の立ち腹を掻切って、大蘇
芳年の筆の冴を見よ、描く処の錦絵のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであっ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
えにも見えて来るのが不思議であります。 明治の浮世絵の中心は、何といっても月岡
芳年さ。この男は国芳の門から出たはずだが、少なくも伝統を破って、よかれあしかれ、....
「浮世絵画家の肉筆」より 著者:上村松園
近世の作家のものが、少なかったように思います。たとえは明治時代に入ってからの大蘇
芳年といったような人などのものは、つい見かけないようでした。 もっとも、寛永前....
「小説 円朝」より 著者:正岡容
な絵を得意とする口数の少ない色白の男とがいた。師匠張りの絵を描く男がのちの月岡|
芳年《ほうねん》だった。優美な絵を描く方がのちの落合|芳幾《よしいく》だった。師....
「少年の食物」より 著者:木村荘八
。直きに和紙が洋紙になったようでしたが、和紙の方がやわらかで好きでした。 多分
芳年の筆と思う一つ家の図を想起します。――之は大版二枚がけ位のタテに長い版画でし....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
死は国芳に後《おく》るる事三年乃ち元治元年なり)。国芳の門人中(芳幾《よしいく》
芳年《よしとし》芳虎等)明治に入《い》りてなほ浮世絵の制作をつづけしもの尠《すく....
「銀座」より 著者:永井荷風
魯文《ろぶん》、柳北《りゅうほく》の如き才人が現れ、画界には暁斎《ぎょうさい》や
芳年《よしとし》の名が轟《とどろ》き渡った。境川《さかいがわ》や陣幕《じんまく》....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
ったことを想い起す。またこの大通りには至るところに錦絵を並べた店があって、そこに
芳年の『月百姿』だとか永濯の『歴史百景』だとかいうものがかけられてあったので――....