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若党
「若党〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
若党の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
は早速|公《おおやけ》の許《ゆるし》を得て、江越喜三郎《えごしきさぶろう》と云う
若党と共に、当時の武士の習慣通り、敵打《かたきうち》の旅に上《のぼ》る事になった....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
わき》にして、先に立った。武具を担《にな》ったり、足弱を扶《たす》けたりしている
若党|草履《ぞうり》取を加えても、一行の人数《にんず》は、漸く十人にすぎない。そ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
荷をおろして、近在の百姓らしい男が柿を売っていました。 そこへ大小、袴、武家の
若党風の男が来かかって、その柿の実を買うつもりらしく、売り手の百姓をつかまえて何....
「鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
け》か。何の用か知らぬが、これへ来いと言え」と、半九郎は寝ころんだままで言った。
若党の八介はお雪に案内されて来たが、満座の前では言い出しにくいと見えて、彼は主人....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
りません。武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て
若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を募集する事になったので、早速....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
った。近所で訊くと、この下屋敷には六十ばかりの御隠居が住んでいて、ほかには用人と
若党と中間、それから女中が二人ほど奉公しているとのことであった。半七は菜の花の黄....
「乱世」より 著者:菊池寛
。 火のない窯の中からおどろいて飛び出したのは、格之介であった。彼は自分の家の
若党の実家を頼って、人目に遠い山中の窯の中に、かくまわれていたのであった。彼は官....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ござりませぬ。父からも何の話も聞き及びませぬ」 彼は即座に云い切った。それから
若党や中間どもを調べたが、かれらは新参の渡り者で、勿論なんにも知らなかった。次に....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
るのだから怖ろしい。主人というほどの人は流石にそんなこともしませんが、その家来の
若党や中間のたぐい、殊に中間などの悪い奴は往々それを遣って自分たちの役得と心得て....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
をいったこともありませんでしたが、わたしは治平といって、以前は奥州筋のある藩中に
若党奉公をしていた者です。わたしがここへ来たのは三十一の年で、それから足かけ五年....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
幸)飯島平左衛門、山本志丈(尾上松助)飯島の妾お国、伴蔵の女房おみね(坂東秀調)
若党孝助、根津の伴蔵、飯島の下女お米(尾上菊五郎)等で、これも殆んど原作の通りに....
「仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
あやめは勘兵衛に引導を渡し、脇差で勘兵衛の咽喉をえぐった。 ある時は主馬之進の
若党となり、ある時は見世物の太夫元となり、ある時は荏原屋敷の僕となり、又ある時は....
「平造とお鶴」より 著者:岡本綺堂
をかれらの口から洩らした。 ここへたずねてくる男は、おすまの屋敷に奉公していた
若党の村田平造という者で、維新後は横浜の外国商館に勤めている。この六月、両国の広....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
の汗を拭く間もなしにその乗物を喧嘩のまん中に卸すと、袴の股立ちを掻い取った二人の
若党がその左右に引添うて立った。「しばらく、しばらく」と、
若党どもは叫んだ。必死....
「丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
目を初めて承わり、飛地の伊豆は田方郡の諸村を見廻りの初旅というわけで、江戸からは
若党一人と中間二人とを供に連れて来たのだが、箱根風越の伊豆|相模の国境まで来ると....