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若後家
「若後家〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
若後家の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
ある女房にいい寄って、危い思いをするよりも宮川町の唄女《うたいめ》、室町あたりの
若後家、祇園あたりの花車《かしゃ》、四条五条の町娘、役者の相手になる上臈《じょう....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
むろんのことにおはぐろ染めに相違なく、したがってどこのだれがどう見ても、ひと目に
若後家とうなずかれるいでたちをしていたものでしたから、
若後家さんである以上その者....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ったその姿を見迎えながら、落としまゆにお歯黒染めた、まだみずみずしいうばざくらの
若後家が声をひそめると、もっけもないことをささやきました。 「主人の身で、使用人....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ぬが、広い世間には鬼親もないわけではござりませぬ。ひょっとしたら、あの器量よしの
若後家も、おまんまいただけぬつらさから、ついふらふらと心に魔がさし、子どもたちを....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
をいう奴があるか」と、平七はまた呶鳴った。 この捫著《もんちゃく》はお国という
若後家を中心として渦巻き起ったらしい。平七はお国と同い年の二十三歳で、まだ独り者....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
におシャブリ遊ばした女子が都合十一人に及んだと申すのじゃ。娘が六人、人妻が三人、
若後家が二人とな、いずれもみめよい者共をえりすぐって捕りあげたのは言うまでもない....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
籠がかつぎこまれたのだ。 騒ぎたつ人々のなかへおりたったのを見ると、武家屋敷の
若後家らしい、品のよい女性ひとり。 供も連れずに、何しにこの、夜の貧民窟へ? ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
歩イテイタウチニ――」 神尾がニタリと笑って、天野の後家という奴が曲者だな、
若後家になって、男ぐるいをはじめて、相当小吉をてこずらしたように書いてあるが、小....
「母への追慕」より 著者:上村松園
けたのは、母の男勝りの気性を身内に流れこましていたからなのであろう。 母が
若後家になった当時、親戚の者が母や私達姉妹の行末を案じて、 「子供二人つかまえて....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
ういう筋から壺をねらっておるのかな?」
「本郷の道場の峰丹波、および、お蓮と申す
若後家の一派と――それよりも、何者かこの壺をにぎって、離さぬものがありますので…....
「巷説享保図絵」より 著者:林不忘
な、おせい様が店を畳んでしまったのだ。だから、早くから山ほどの財産を後生大事に、
若後家を通してきたのだ。今じゃあもう
若後家でもねえが――」
その山ほどの財産が....
「深川女房」より 著者:小栗風葉
* * * 越えて二日目、葬式は盛んに営まれて、喪主に立った
若後家のお光の姿はいかに人々の哀れを引いたろう。会葬者の中には無論金之助もいたし....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
が前身だけにいまだに凄いような阿娜者《あだもの》だったが、このお美野にかぎって、
若後家にもかかわらず、またこうした人出入りの激しい客稼業《しょうばい》にも似合わ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
あるが入夫となって面倒を見てもらえまいかと頼まれた。喜兵衛は納得して幸手へ行き、
若後家の入夫となって先夫の子を守育て、傾き掛った身代を首尾よく盛返した。その家は....
「わが母を語る」より 著者:上村松園
って「いや、これには静岡ものが混ぜてある」と見やぶってしまいます。それで始めは「
若後家だ、だましてやろう」という気で来た茶とんびも、「あそこはごまかしが利かぬ」....