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「若松〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

若松の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ひょっとこ」より 著者:芥川竜之介
× × 山村平吉はおやじの代から、日本橋の若松町にいる絵具屋である。死んだのは四十五で、後には痩せた、雀斑《そばかす》のあ....
鳥辺山心中」より 著者:岡本綺堂
栄えて、柳町はいたずらに格式を誇るばかりの寂しい姿になった。 お染はその祇園の若松屋という遊女屋に売られて来たのである。 この場合、祇園はあくまでも柳町を圧....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の知らない町の名が多い。久保町から権田原の方角へ真っ直ぐにゆくと、左側に浅川町、若松町などという小さい町が続いている。それは現今の青山北町二丁目辺である。その浅....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
、昨日と今日いそがしい。今朝はたくさん芋をふかして学校へ持っていった。模擬店の「若松」の係だそうだが、その売品の材料に使うらしい。何でも「若松」のお嬢さんが同級....
自叙伝」より 著者:大杉栄
知っていたので、大尉の監督の下にそこへ下宿するように父に申し出てあったのだった。若松屋というその下宿には、幸いに奥の方に、四畳半の一室があいていた。そして僕は、....
天主閣の音」より 著者:国枝史郎
よいよ大願成就かな」 大須観音境内は、江戸で云えば浅草であった。 その附近に若松屋という、二流所の商人宿があった。 久しい以前から其宿に、江戸の客が二人泊....
紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
不一 烏水大兄 九日花袋 半紙一枚に、墨筆で書いてある。状袋の裏には、牛込区若松町百卅七田山花袋とある。文中の『大日本地誌』は、山崎直方佐藤伝蔵両氏の編で、....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
氏郷だ。二人を睨《にら》み据えて言葉も荒々しく、政宗謀叛とは初めより覚悟してこそ若松を出でたれ、何方《いずく》にもあれ支えたらば踏潰《ふみつぶ》そうまでじゃ、明....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
秀小説』というのがある、知ってるかい。」 「見ないが、聞いたよ。」 「樋口一葉、若松|賤子――小金井きみ子は、宝玉入の面紗でね、洋装で素敵な写真よ、その写真が並....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
らぬ、鳴けよ草間のきりぎりす 親の意見と茄子の花は、千に一つのむだもない めでた若松|浴衣に染めて、着せてやりましょ伊勢様へ 思いとげたがこの投げ島田、丸く結う....
歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
おりの写生の出発点を見せているので、生命の暗示などは、問題にもなって居ないのだ。若松の芽だちの葉黄 ながき日を 夕かたまけて、熱いでにけり 本質的に見た短歌とし....
小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
築地小劇場に劇場員一同を集めて、青山杉作が以上の経過を報告した。 菩提寺、牛込若松町金谷山宝祥寺の住持秋山暁道師によって先生の戒名は「蘭渓院献文慈薫居士」と名....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
「弁士、中止! 」 大塩の演説が面白いところまで行かぬうちに、尾行巡査が電話で若松署署長を呼び出していたものだから、署長は大塩の演説を中止することを手柄顔に「....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
要する若干の図書を買い集めたのであった。 明治の末から大正の初めにかけての会津若松歩兵第六十五連隊は、日本の軍隊中に於ても最も緊張した活気に満ちた連隊であった....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
て引きさがった。 タイガーの向いに路地があってそこを俗に食傷新道といっている、若松というしるこ屋は古くからここにある。もとこの角が絵葉書屋で、銀座にいた頃、小....