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苦辛
「苦辛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
苦辛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
すと存じ深く自《みずか》ら警《いまし》むる所あり臥薪甞胆《がしんしょうたん》其の
苦辛《くしん》の結果|漸《ようや》く茲《ここ》に独力以て我が理想に適するだけの校....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
射た、竜王出でて恩を謝し何でも願いの品を進《まいら》すべしという、冠者鐘を鋳んと
苦辛する状《さま》をいうと、竜王甚だ易《やす》き事とて竜宮寺に釣るところの鐘を下....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
なかなか小むつかしく分別命名しある。わが邦も毛色もて馬を呼ぶに雑多の称あり。古来
苦辛してこれを漢名に当てたは『古今要覧稿』巻五一五から五二四までに見ゆ。とばかり....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ーウィンは猴の情誼厚きを讃《ほ》め、あるアメリカの猴がその子を苦しむる蠅を払うに
苦辛し、手長猿が水流中に子の顔を洗うを例示し、北アフリカの某々種の猴どもの牝はそ....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
に決し、御覧の如く一座の者と共に広告に奔走《ほんそう》せるなり、前年と違いよほど
苦辛《くしん》を重ねたれば少しは技術も進歩せりと思う、江藤新平《えとうしんぺい》....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
《がいかん》の至るに当り、能《よ》くその士気を振《ふる》うて極端《きょくたん》の
苦辛《くしん》に堪《た》えしむるの術あるべきや。内に瘠我慢《やせがまん》なきもの....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
に近づき、殊に最後の数年間は眼疾を憂い、終に全く失明して口授代筆せしめて完了した
苦辛惨憺を思えば構想文字に多少の倦怠のあるは止むを得なかろう。とにかく二十八年間....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
きはてて簡勁《かんけい》なる、豪壮なる漢語もてわが不足を補いたり。先に其角一派が
苦辛して失敗に終りし事業は蕪村によって容易に成就せられたり。衆人の攻撃も慮《おも....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
ばあったし、洗練|推敲肉|痩せるまでも反覆|塗竄何十遍するも決して飽きなかった大
苦辛を見て衷心嘆服せずにはいられなかった。歿後遺文を整理して偶然初度の原稿を検す....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
て、『かくれんぼ』や『門三味線』を得意がっていた。『門三味線』は全く油汗を搾って
苦辛した真に彫心|鏤骨の名文章であった。けれども
苦辛というは修辞一点張であったゆ....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
従う以上はソコに必ず快楽を伴う。この快楽を目して遊戯的分子というならば、発明家の
苦辛にも政治家の経営にもまた必ず若干の遊戯的分子を存するはずで、国事に奔走する憂....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
々皆神聖視していたから一字一句どころか言語の排列までも原文に違えまいと一語三礼の
苦辛をした、あんな馬鹿|骨折は最う出来ない、今ならドシドシ直してやる、」と笑った....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
史を知り過ぎていた。が、同時に入露以前から二、三の露国革命党員とも交際して渠らの
苦辛や心事に相応の理解を持っていても、双手を挙げて渠らの革命の成功を祝するにはま....
「露伴の出世咄」より 著者:内田魯庵
預かってる原稿も山ほど積んであった。中には随分手前味噌の講釈をしたり、己惚半分の
苦辛談を吹聴したりするものもあったが、読んで見ると物になりそうなは十に一つとない....
「画」より 著者:正岡子規
写生した。柿は親指と人さし指との間から見えて居る処で、これを画きあげるのは非常の
苦辛《くしん》であった。そこへ虚子《きょし》が来たからこの画を得意で見せると、虚....