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「英傑〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

英傑の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
できないことはない、われも一つやってみようというようになる。 私は近世の日本の英傑、あるいは世界の英傑といってもよろしい人のお話をいたしましょう。この世界の英....
近時政論考」より 著者:陸羯南
。先生気高くして識深し。才文武を兼ねてしかして久しく時に遇わず。近時人もし晦跡の英傑を談ずれば必ず指を先生に屈す。先生つねに世運の衰替を慨し、かつて二、三子と大....
縮図」より 著者:徳田秋声
の小地主の娘として生まれ、少女時代を東京で堅い屋敷奉公に過ごし、その屋敷が時代の英傑後藤新平の家であり、目端の利くところから、主人に可愛がられ、十八までそこの奥....
惜別」より 著者:太宰治
そうだ。留学生たちも、この人のいう事なら何でも聴く。絶対の信頼だ。そのおそるべき英傑の顧問が、その宮崎なんとかいう人をはじめ日本の民間の義士だ。ここが間一髪のと....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》、杲卿《こうげ》が忠勇 画像を拝した張巡《ちょうじゅん》見なせえ 皆これ天下の英傑だんベエ これこそ天下の将帥《しょうすい》と言われる それに何ぞや賊の旗の手....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
るいは精神の弱さかであるように見なしがちである。それでももちろん彼らは、芸術上の英傑をだれよりもよく理解してるとの確信をもち、その英傑らを保護者的な馴《な》れ馴....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
く英雄であったが、アンドレ・シェニエを少し邪魔にして、彼を断頭……すなわち、その英傑たちは、共和熱月七日(一七九四年七月二十五日)、公衆の安寧のために、アンドレ....
三つの悲憤」より 著者:豊島与志雄
つったのかも知れない。」と人々は蔭で囁きあいました。 それから急に阮東の名は、英傑として遠近に響き渡るようになりました。その地方一帯は、彼の領地に等しい状態と....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
兵法、経済等のことに於ても真相だよ」 虎之介は己れのフシ穴の眼によって非凡なる英傑の目を狂わしめたことを甚しく愧じ嘆き、長く長くうちうなだれて、一言の言うべき言葉も失っているのみであった。....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
妻君教育ぐらいと考えますが、実際においてこれはなかなか難しいことであります。かの英傑秀吉すら淀君の我儘を押えることが出来なかった結果、豊臣の天下を早く失ったとも....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
一 江川太郎左衛門、名は英竜、号は坦庵、字は九淵世々韮山の代官であって、高島秋帆の門に入り火術の蘊奥を極わめた英傑、和漢洋の学に秀で、多くの門弟を取り立てたが、中に二人の弟子が有って出藍の誉....
南国太平記」より 著者:直木三十五
の考えは、次のようなことであった。 当主|斉興《なりおき》の祖父、島津重豪は、英傑にちがいなかった。彼は、シーボルトが来ると、第一に訪問した。それから、大崎村....
スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
だが、浮気女を一人でも手に入れて、完全にこれを牛耳ることができる男こそは、まさに英傑である。たしかなところ、あの恐ろしいブロム・ボーンズもこの英傑ではなかったの....
法然行伝」より 著者:中里介山
毘沙門堂《びしゃもんどう》の法印明禅は、参議成頼卿の子息で、顕密の棟梁山門の英傑とうたわれた人であるが、道心うちに催し隠遁のおもいが深かった。はじめて発心の....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
年 ナポレオン曰く「大王の形勢今や極度に不利なり」と。 しかし天はこの稀代の英傑を棄てなかった。一七六二年一月十九日すなわち大王悲境のドン底に於て露女王の死....