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「英姿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

英姿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
価値を落す事だろうと思います。御母堂の鼻はシーザーのそれのごとく、正《まさ》しく英姿颯爽《えいしさっそう》たる隆起に相違ございません。しかしその周囲を囲繞《いに....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
、帰朝後現に司法省内の重要なる椅子を占め、尚外務書記官を兼ねているのでも分る通り英姿颯爽、温容を以て人に接し、辞令企まずして巧で、加うるに頭脳明晰眼光よく紙背に....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
水之介は、さッと片肌はねてのけると、おもむろに手にしたは飾り重籐、颯爽としたその英姿! 凛然としたその弓姿! 土壇のあたり、皎々としてまばゆく照り栄え、矢場のこ....
小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
の門にかかりしなり。 山木が車赤坂|氷川町なる片岡中将の門を入れる時、あたかも英姿|颯爽たる一将軍の栗毛の馬にまたがりつつ出で来たれるが、車の駆け込みし響にふ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
たぎぬ》をした武将の像が一つ、錦襴《きんらん》の表装の中に、颯爽《さっそう》たる英姿を現わしている。 その肩衣も至って古風で、髪も容《かたち》もおのずから、そ....
生前身後の事」より 著者:中里介山
た都新聞時代から大菩薩の愛読者であったと想像の出来ない事もない。 明治天皇の御英姿を拝する機会は得られなかったが、大正天皇の行幸を拝したことは一二回ある。 ....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
佐竹義宣をたより、片野に老後の身を寄せたり。然れども、雄志|毫も衰へず。老武者の英姿は、いつも筑波山下に躍動したりき。 父の小田天庵、藤沢に居り、子の守治、小....
深夜の電話」より 著者:小酒井不木
着きました。富士山が白い衣をかついではるか彼方につっ立っております。私たちはその英姿をほめたたえながら、以前はここから小田原行の電車に乗り、小田原に着くとすぐ熱....
ムツェンスク郡のマクベス夫人」より 著者:神西清
りの水も滴たらんばかりの若い衆ぶり――いや、いっそ手飼いの鷹とでもいいたいほどの英姿を、カテリーナ・リヴォーヴナの身辺にあらわしはじめて、またもや二人のあいだに....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
へしめ、忠臣義士が決然|家《いえ》を捨てて難に赴《おもむ》かんとする時、一層その英姿を引立たしむる等その活用の範囲|挙《あ》げて数ふべくもあらず。『二十四孝』十....
三国志」より 著者:吉川英治
兵力は、敵全軍の五分の一にも過ぎません」 と、あるので、遂に城門をひらかせて、英姿颯爽と、一軍をひきいて、蒼空青野の戦場へ出て行った。 手をかざして望むと夏....
三国志」より 著者:吉川英治
て、威風ことにあたりを払ってみえる。 「ああ。馬超馬超。いま世上の人々が、馬超の英姿をたたえて、西涼の錦馬超というとか。――あれにみゆるは、まさにその者にちがい....
三国志」より 著者:吉川英治
将が洩れていた。それは玄徳以来の功臣、常山の趙雲子龍であった。 この日、趙雲の英姿が出征軍の中に見えなかったのは、こういう理由にもとづく。 長坂橋以来の英傑....
三国志」より 著者:吉川英治
放ち、直ちに疾風の如く引っ返せ」 二子の司馬師、司馬昭も、父の叱咤を聞き、この英姿を見るや、 勇躍して、 「それっ、続け」 と一道の隘路を混み合って続々谷....
私本太平記」より 著者:吉川英治
だろう。このいでたちの宮の姿は、よほど都人士の目をそばだてさせたことらしい。その英姿を称えるとも怪しむともつかない※きが諸人の間に流れていた。 「えらいお変りよ....