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茶筅
「茶筅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
茶筅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
なくなった。粉茶は全く忘れられている。明の一|訓詁学者は宋代典籍の一にあげてある
茶筅の形状を思い起こすに苦しんでいる。現今の茶は葉を碗に入れて湯に浸して飲むので....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
しい目もとにも老いの迫ったという痕跡がなく、まだみずみずしい髪の髻を古代紫の緒で
茶筅風に結び、その先を前額の方になでつけたところは、これが六十一歳の翁かと思われ....
「稲生播磨守」より 著者:林不忘
相家として知られた某藩の久保奎堂《くぼけいどう》も混っている。奎堂は五十がらみ、
茶筅髪の学者型である。一同が提げ刀のまま入り乱れて席を譲り合いながら、座につこう....
「寛永相合傘」より 著者:林不忘
かりのある藩中の老人。さっきから皆がちらちらと視線を送っている胡麻塩《ごましお》
茶筅頭《ちゃせんあたま》のおやじがそれだ。会主がその道の巧者だから、持ち寄った刀....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
肉を見れば錚々《そうそう》たる壮俊《わかもの》。 ことにおかしいのはその頭で、
茶筅《ちゃせん》を頭の真中で五寸ばかり押立《おった》てている恰好《かっこう》たら....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
額広く鼻高く、上り目の、朶少き耳、鎗おとがいに硬そうな鬚疎らに生い、甚だ多き髪を
茶筅とも無く粗末に異様に短く束ねて、町人風の身づくりはしたれど更に似合わしからず....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
米友は、この時はもう黒ではない。黒いところはすっかり洗い落されて、昔に変るのは
茶筅《ちゃせん》を押立《おった》てた頭が散切《ざんぎり》になっただけのこと。身体....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
で、いま何か言いおわったところらしく黙ってうつむいて手にした水差しをなでている。
茶筅《ちゃせん》、匙《さじ》、柄杓《ひしゃく》、羽箒《はねぼうき》などが手ぢかに....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
を失ったのは十六のときだ。父の葬儀の焼香に現れた信長は袴をはいていなかった。髪は
茶筅髪、つまりフンドシカツギのマゲだ、腰の太刀にはシメ縄がまいてある、悪太郎が川....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
うるハチ(この事は後に詳説する)がその職業によって、御坊と呼ばれ、番太と呼ばれ、
茶筅或いは簓と呼ばれ、説経者と呼ばれたのもまた同じ様なもので、由来賤職に従事する....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
残りが残っているのであります。 俳優以外にももと非人仲間の者は、その種類多く、
茶筅・鉢屋など言われたもので、依然集合的の部落をなして、なお今日特殊の待遇を受け....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
来て、エタの仕来りを問い合せているのである。 正徳二年七月に、備後地方のエタと
茶筅との間に於いて、支配権限の争いが起った。そこで福山のエタ頭三吉村関助・九郎助....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
の状況から、宿の者、垣内の者などと云い、職業とするところから、皮屋、皮坊、皮太、
茶筅、御坊、鉢屋、簓、説教者、博士など、種々の名称があるが、要するに河原者と云い....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
彼らまた実にもと浮浪の法師であった。 空也上人の念仏宗が、また一種の特殊民たる
茶筅の徒を末派に有しているのも、同じ経路をとったものであらねばならぬ。彼らは念仏....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
革を扱わなかった部落はエタとは呼ばれなくなりました。彼らは地方によって、あるいは
茶筅とか、鉢屋とか、宿とか、簓とか、トウナイとか、説教者とか、いろいろの名称をも....