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茶臼
「茶臼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
茶臼の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
勝成《みずのかつなり》は、使番を尻目にかけながら、 「はや巳《み》の刻に及び候。
茶臼山の敵陣次第にかさみ見えて候。速かに戦いを取り結びて然るべし、と大御所に伝え....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
また謙信に劣らざる大胆さで、謙信の陣所たる妻女山の西方を素通りして、その西北方の
茶臼山に陣した。 謙信が、海津城を尻目にかけ、わざと敵中深く入ると、信玄はまた....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
附近の天神山に、次男北畠信雄は稲葉一徹属して御堂山に、夫々陣を布いた。更に川上村
茶臼山には、佐久間|右衛門尉信盛、池田庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なん....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
して決戦し、一隊をして正面の戦|酣なる時迂回して背後を衝かしめんとした。 幸村
茶臼山に陣し、毛利勝永は天王寺南門に備え、大野治長の先鋒銃隊東に在り、左方岡山口....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
果、決闘裁判の請求もソーントンをもって最後とすることとなった。 三九 板倉の
茶臼、大岡の鑷 板倉周防守重宗は、徳川幕府創業の名臣で、父勝重の推挙により、そ....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
、特に西方の煙突と煙だけは素晴らしさを持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、
茶臼山、高津の宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並である。あの黒い....
「決戦川中島 上杉謙信の巻」より 著者:坂口安吾
妻女山の西方は北国街道をはさんで善光寺につづく山々に相対している。その一点に
茶臼山があった。 余は信玄が地蔵峠を越えて松代にか、北国街道に沿うて川中島にか....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
当であったらしい。わたしはこの種の草双紙で「松栄千代田神徳」「日本晴伊賀仇討」「
茶臼山凱歌陣立」「天衣紛上野初花」「古代形新染浴衣」そのほかにも幾種を読んだが、....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
乾たことのない物凄い古池で、池には片目の鰻がいるといいました。昔一人の馬方が馬に
茶臼を附けて、池の堤を通っていて水に落ちて死んだ。その馬方がすがめ 越後には青....