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「荊州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

荊州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
て、おなじことを繰り返して頼んで去った。 夜が明けかかると、土地の役人が来て、荊州の帥があなたを御招待して朝飯をさしあげたいと言った。先生はそれにも承知の旨を....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
丈夫は、いわゆる剣侠のたぐいであることを、役人は初めてさとった。 鏡の恨み荊州の某家の忰は元来が放埒無頼の人間であった。ある時、裏畑に土塀を築こうとすると....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
仏頂寺弥助が渋面をつくると、丸山勇仙は、前と同じように首を横に振り、 「其ノ荊州《けいしゆう》ヲ破リ、江陵ヲ下リ、流レニ順《したが》ツテ東スルヤ、舳艫《じく....
『尚書』の高等批評」より 著者:白鳥庫吉
これらの思想智識は春秋時代に於いて孔子時代以前に存せしは明也。されど禹貢の九州が荊州即ち楚の地を含めるに見、一方この地方の知られたるは春秋時代なるに見ば、兎に角....
三国志」より 著者:吉川英治
火とばかり、魔の手をひろげて行った黄巾賊の勢力は、今では青州、幽州、徐州、冀州、荊州、揚州、※州、予州等の諸地方に及んでいた。 州の諸侯をはじめ、郡県市部の長....
三国志」より 著者:吉川英治
て、袁紹と烈しい喧嘩別れをして、即日、これも本国へさして急いでしまったが、途上、荊州の劉表に遮られて、その軍隊はさんざんな傷手をうけ、身をもって黄河を遁れ渡った....
三国志」より 著者:吉川英治
されてしまったので、劉※は、 「もう駄目だ」と、力を落して、わずかな残兵と共に、荊州へ落ちて行った。 荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表がな....
三国志」より 著者:吉川英治
、袁紹、袁術のほかには、誰がもっぱら、当今の英雄と擬せられているか」 「次には、荊州の劉表でしょうか」 「劉表」 「威は九州を鎮めて、八|俊と呼ばれ、領治にも見....
三国志」より 著者:吉川英治
は伯仲していずれが勝れりともいえません。……けれどここに外交と戦争とを併行して、荊州の劉表を味方に加えるの策に成功したら、もはや曹操とて完敗の地に立つしかありま....
三国志」より 著者:吉川英治
しです……唯ここにまだ両者の勢力のいずれにも属していない所があります。それがこの荊州です。また、益州です」 「おお」 「荊州の地たるや、まことに、武を養い、文を....
三国志」より 著者:吉川英治
して、こう質問した。 「烏林には、二すじの道があります。一条は南郡に通じ、一条は荊州へ岐れている。曹操は、そのいずれへ走るでしょうか」 「かならず、荊州へ向い、....
三国志」より 著者:吉川英治
、玄徳の留守に、その家臣どもから追われ、今日、呉へ立ち帰った。かくなる上は、呉と荊州とは、事実上、なんらの縁故もないことになった。即時、大軍を起して、荊州を収め....
三国志」より 著者:吉川英治
命に関わること、なおざりには致しておけぬ」 「一時の無念は忍んでも、ひとたび軍を荊州へかえし、万全を期して、出直すことがよいと考えられるが」 「……どうも困った....
三国志」より 著者:吉川英治
うのであった。 「はて、慶び事とは」 「ご記憶でございましょう。むかし関羽将軍が荊州で敗れたとき、その禍因をなしたあの孟達を。――蜀に反いて魏へ降った孟達ですが....
三国志」より 著者:吉川英治
が自負満々だった魏の大艦船団が、烏林、赤壁にやぶれて北に帰り、次いでまた、玄徳が荊州を占領したと聞いたとき、彼は何か書き物をしていたが、愕然、耳を疑って、 「ほ....