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菅公
「菅公〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
菅公の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
うまでもなく稲荷《いなり》まつり、雛市は雛の市、梅見は梅見、天神祭りは二十五日の
菅公祭《かんこうさい》、湯島、亀戸《かめいど》、天神と名のつくほどのところはむろ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
者を雇っていましたが、行く路は一つですからこっちも一緒になって登りました。途中に
菅公|硯の水というのがあります。菅原道真は七歳の時までこの麓に住んでいたのだそう....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
の句がある。その咎を受けて江戸を発する時、抽斎は四言十二句を書して贈った。中に「
菅公遇譖、屈原独清、」という語があった。 この年抽斎の次男矢島|優善は、遂に素....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
をしてくれる事もありました」 「面白いのは梅干の種子を大切にする事で(註曰。翁は
菅公崇拝者)、一々紙に包んで袂に入れておりました。或る時私が只圓の着物を畳んでい....
「泣虫小僧」より 著者:林芙美子
ゃんには罪はないけど、厭になっちゃうわ……」 「あ、あ、秋日和《あきびより》で、
菅公なぞはハイキングとしゃれてるのに、朝から夫婦喧嘩か、こっちが厭になるよ。――....
「余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
余録
菅公を讒言して太宰の権帥にした、基経の大臣《おとど》の太郎、左大臣時平は、悪逆無....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ちん》を見て、まず穏かでないと思いました。 その提灯は梅鉢の紋、それがいわゆる
菅公以来の加賀様の紋であって、その下に「御用」の二字。 ああ、なるほど、わが道....
「源氏物語」より 著者:紫式部
たことです。 これは源氏の書いた返事である。明石《あかし》の駅長に詩を残した
菅公のように源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情し....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
におけるこの上ない感謝であって、世間にはこの感激に生きている人は少なくない。あの
菅公の宇多上皇に対する恩顧の思い出はそれを示して余りあり、理想の愛人に合うことの....
「再度生老人」より 著者:佐左木俊郎
するようにして、顫える手先で静かに展いて見た。 それは、梅の木の下に立っている
菅公の像であった。梅の花の下で、私を凝視めているように私には思われた。その真面目....
「ばけものばなし」より 著者:岸田劉生
ある。 それで幽霊も、古い絵巻等には足のある、常人とかわらぬものが描いてある。
菅公が幽霊となって、時平のところへ化けて出るところをかいた、天神|縁起の
菅公の幽....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
か。小生なども我は有用の人物なり、然るに謫せられ居るを苦にせず屈せぬは、忠義なる
菅公が君を怨まぬと同じく、名誉なりと思はば思はるべく候。おきみさんもおのれほどの....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
うし共に漢学趣味によりてその品位を高めしが如く、芳年は王政復古の思想に迎合すべく
菅公《かんこう》楠公《なんこう》等の歴史画を出《いだ》して自家の地位を上げたり。....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
死ぬ日の朝の歌、 出でていなば主なき宿となりぬとも軒ばの梅よ春を忘るな は、かの
菅公の 東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ を思わせて全く古今調....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
大石があります。高さは五尺ばかり、周りに垣をして大切にしてありますが、これは昔|
菅公が筑紫に流された時、度会春彦という人が送って行って、帰りに播州の袖の浦という....