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「菅原道真〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

菅原道真の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
つですからこっちも一緒になって登りました。途中に菅公|硯の水というのがあります。菅原道真は七歳の時までこの麓に住んでいたのだそうで、麓には今も菅原村の名が残って....
死までを語る」より 著者:直木三十五
で、この時も、すぐ、薄氏の所へ自慢に行ったらしい。 所がである、同じ三年の時、菅原道真の事が、読本に出ていた。その中に「遷《うつ》され」という字があったが、先....
ドグラ・マグラ」より 著者:夢野久作
い。今年の旅立ちは西の方がいいとこの通り易のオモテに出ている。お前は三碧木星で、菅原道真や市川左団次なぞと同じ星廻りだから、三十四から四十までの間が一番災難の多....
旅愁」より 著者:横光利一
暗鬱な情緒を次第に強く感じて来ていた。それも基経の子の時平が矢代のもっとも好きな菅原道真を太宰府に流した暗さだったが、些細なこととはいえ、矢代は幼少のころから、....
余録(一九二四年より)」より 著者:宮本百合子
平は、悪逆無道の大男のように思われて居る。 小学歴史で読んだ時から、清くやせた菅原道真に対して、グロテスクな四十男が想像されて居た。ところが、実際はそうでなか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
揚句、 「それでもお前……天神様をごらん」 「え?」 「天神様をごらんなさいな、菅原道真公を。天神様はあの通りのいいお方でしょう、それでさえ筑紫《つくし》へ流さ....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
閣に登られて、私もお供して初めてこの天主閣の眺望をしたのである。最上層には遠祖の菅原道真即ち天満宮が祀ってある。その他にも武器などが置かれてあったが、この天主閣....
日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
位に変更させた如きもその一例といってよかろう。 遣唐使派遣に終止符を打ったのは菅原道真であって、その航海の困難ということも理由の一つではあったが、もっと重大な....
妖怪学」より 著者:井上円了
黄 応神天皇 九紫 仁徳天皇 三碧 聖徳太子 六白 弘法大師 二黒菅原道真 三碧 円光大師 八白 親鸞聖人 八白 日蓮上人 五黄 一....
穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
渉を有する雨乞祭に、牛の首が利用されることは今も昔も全く変る所がない。仁和四年に菅原道真が讃岐の国守として赴任した折に大旱にあい、雨乞せしに大雨あり、国民狂喜し....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
深志の天神様の氏子たちは、島内村の人と縁組みをすることを避けました。それは天神は菅原道真であり、島内村の氏神|武の宮は、その競争者の藤原|時平を祀っているからだ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
。土師部の首領たる土師連家は早く足を洗って、菅原、大江、秋篠等の学者の家になり、菅原道真というような大人物もその家から出たが、相変らず葬儀に関係して、いわゆる「....