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「菊川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

菊川の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
未帰還の友に」より 著者:太宰治
その日の、君の物語るところに依《よ》れば、君が入営して一週間目くらいに、もうはや菊川マサ子からの手紙が、君を見舞ったという。そう言えば、君の去った後、僕が他の学....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た。それが又、若い男の心をも惹きつけたのであった。 奥山にはかの驢馬のほかに、菊川国丸の蹴鞠、淀川富五郎の貝細工などが評判であるので、それらも話の種に見物する....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
徒らに士を殺すを惜んで、五人の旗頭、服部|玄蕃允、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。 永禄....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
に置いた。それからペンを取って、尚も考え考え封筒の上にペンを動かした。 「本所区菊川町二十三番地大内写真館、うん之でよし」 意地の悪そうな笑みを洩らして書上っ....
丹下左膳」より 著者:林不忘
らない。 一、秋元淡路守殿御壺、銘《めい》福禄寿《ふくろくじゅ》、日坂宿手前、菊川べりにて。 一、大滝壱岐守殿おん壺、春日野《かすがの》の銘《めい》あり。 ....
名娼満月」より 著者:夢野久作
部、藤枝を背後に、大井川の渡し賃に無けなしの懐中をはたいて、山道づたいの東海道。菊川の宿場に程近く、後になり先になって行く馬士どものワヤク話を聞くともなく聞いて....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
、島田の宿と、いそぎ掛川を立ち、小夜の中山にさしかかった頃から豪雨となって途中の菊川も氾濫し濁流は橋をゆるがし道を越え、しかも風さえ加って松籟ものすごく、一行の....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
あるだろう。日本ファシズム反対の人民的任務を果すことが出来ると云っていいだろう。菊川忠雄氏が引用する文章に従えば、日本における人民戦線は社会大衆党そのものだとい....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
分裂的行動を承認せず従って夫に基く人民戦線を承認しようとしない。特に麻生、河野、菊川、の諸氏は外見上人民戦線の否定論者として現われている。だが問題は人民戦線とい....
陽炎座」より 著者:泉鏡花
かも奥さんは永々の病気の処、私はそれが望みでした。」 電が、南辻橋、北の辻橋、菊川橋、撞木橋、川を射て、橋に輝くか、と衝と町を徹った。 二十五 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
が、その時はいいきびだと思ったよ。 十の年の夏、馬の稽古をはじめたが、先生は深川菊川町両番を勤める一色幾次郎という師匠だが、馬場は伊予殿橋の、六千石取る神保磯三....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
助《そうましづのすけ》、伝役《もりやく》桑原萩之進《くわばらはぎのしん》、医者|菊川露斎《きくかわろさい》の三人がつきそい、矢田北口《やたきたぐち》というところ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
が、光明氏は柳の稲荷の方)。父親に早く別れ、祖父の養育で、十二歳の時に根岸在住の菊川という牙彫の師匠の家に弟子入りをして、十一年の年季を勤め上げ、年明けが二十三....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
合したり。この新意匠は大《おおい》に世の好評を博し豊国以後もその門人国貞国政また菊川英山《きくかわえいざん》ら皆これに倣ひて同じ図案を反復する事その限《かぎり》....