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「葉茶屋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

葉茶屋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
血につながる一族で、ちょうどこの事件のあった十年まえ、あれなる青まゆの女を向島の葉茶屋から退《ひ》かして正妻に直したころから、しだいにその放埓《ほうらつ》が重な....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
行きました。 日は忘れましたが、なんでも二月の初めです。神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この葉茶屋は諸大名の屋敷へもお出入りをし....
松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
に宜い家が有るから、その家を宿賃で借る積で、品は送ってくれると云うから、その家で葉茶屋を始める事になったので、実は母親に打明けました、云い難かったが思い切って、....
母への追慕」より 著者:上村松園
い愛情こそ、尊い「母の姿」であると、私はいつも母の健気な姿を憶うて感謝している。葉茶屋をしていた私の店には、お茶を乾燥させるための大きなほいろ場があった。 お....
猿ヶ京片耳伝説」より 著者:国枝史郎
になったそうです」 「あっしだって憎みますよ」 と、口を出したのは、八木原宿の葉茶屋の亭主だという、四十がらみの男であった。 「あっしばかりじゃアない、誰だっ....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
りは過ぎていたが、上野山下は景気立っていた。茶屋女が美しいので、近ごろ評判の一|葉茶屋で、弓之助は喉を濡らすことにした。 女が渋茶を持って来た。ふと見ると弓之....
柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
かった。そうしてお仙やお藤のように、詩人や墨客からも認められた。彼女の出ている一葉茶屋、そのため客の絶え間がなかった。お杉はこの頃十七であった。 同じ浅草の人....
あのころ」より 著者:上村松園
子供用の刀や槍がどんどん売れたそうで、これは国表へのお土産になったのであります。葉茶屋 それも間もなくのことで、御一新になり、天子様が御所から東京の宮城へお移....
作画について」より 著者:上村松園
かたみになっているのです。 私の家は、前述のように、その頃ちきり屋と言って母が葉茶屋をいとなんでおりましたが、その母屋の娘さんの着物など母はよく縫ってあげてい....
好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
ものです。 はわせと桃割 私の家は四条通りの今の万養軒のあるところで葉茶屋をしていましたが、私の十九の時火事で焼けました。粉本や写生など皆焼いてしま....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
あれば高価であるから私も当惑しましたが、以前用たしで浅草の三筋町を通った時に或る葉茶屋になかなか好い狆がいたことを思い出したので、早速出掛けて行って見ると、店先....
画道と女性」より 著者:上村松園
す。父と早く死別した後、姉と私とたった二人姉妹ではあったが、兎に角父の商売だった葉茶屋を続けて、そして私達を育ててくれました。 その母の丈夫なのを遺伝してか、....
棲霞軒雑記」より 著者:上村松園
らぬほど安かったのである。 そして味も比較にならぬほど美味かった。 あの頃の葉茶屋の空気はまことに和かなもので、お寺の坊さん、儒者、画家、茶人それから町家の....
今日になるまで」より 著者:上村松園
さんを立てかけてお飾りをするのが唯一の遊びごとでした。 ところが父の始めました葉茶屋の商売を引きつづき背負って立とうとした母に、親類から種々の忠言がありました....
想い出」より 著者:上村松園
下さいました中島先生の御恩は一生忘れることが出来ません。 その時分、家の商売は葉茶屋でございまして、二人の子供を抱えた若い後家の母は女手一つで私達を育てて呉れ....