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「葛西〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

葛西の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
狂言の神」より 著者:太宰治
ものだよ。 ――しつれいいたしました。私の記憶ちがいでございました。千人風呂は葛西《かさい》善蔵氏の作品でございました。 ――まったくもって。 わけのわか....
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
文「それは聞いたがお前の家《うち》は松倉町の何《ど》の辺だえ」 娘「はい、葛西屋《かさいや》と云う蝋燭屋《ろうそくや》の裏でございます」 森「フム、けち....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
せて、雪駄《せった》をぬいで続け打ちになぐり付けた。 「河童野郎。八丁堀へでも、葛西《かさい》の源兵衛堀へでも勝手に行け。おれ達は渡り奉公の人間だ。万一|事《こ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
お化けや因果物のいろいろの奇怪な観世物が小屋をならべていた。河太郎もその一つで、葛西の源兵衛堀で生け捕ったとか、筑後の柳川から連れて来たとか、子供だましのような....
婦系図」より 著者:泉鏡花
四十一 「あっちへ蹌々、こっちへ踉々、狐の憑いたように、俺の近所を、葛西街道にして、肥料桶の臭をさせるのはどこの奴だ。 何か、聞きゃ、河野の方で、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
のなかに棲んでいて、時々に陸や船にあがってくる。まったく河童の親類のような奴だ。葛西の源兵衛堀でも探してみるかな」 「ちげえねえ」と、幸次郎も笑った。 この頃....
渾沌未分」より 著者:岡本かの子
ある。大たい鬱結した暑気の天地だ。荒川放水路が北方から東南へ向けまず二筋になり、葛西川橋の下から一本の大幅の動きとなって、河口を海へ融かしている。 「何という判....
きりぎりす」より 著者:太宰治
ございません。この世では、やはり、あなたのような生きかたが、正しいのでしょうか。葛西さんがいらした時には、お二人で、雨宮さんの悪口をおっしゃって、憤慨したり、嘲....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
などと小遣を貰うを悦ぶ者もあり、小僧も彼方此方へ付きまして内がもめまする。先妻は葛西の小岩井村の百姓|文左衞門の娘で、大根畠という処に淺井様と云うお旗下がござい....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
豊臣秀吉即ち当時の主権執行者の命によりて奥羽鎮護の任を帯びて居たのである。然るに葛西《かさい》大崎の地に一揆《いっき》が起って、其地の領主木村父子を佐沼の城に囲....
食指談」より 著者:佐藤垢石
、すっぱい顔しなかったのは深川霊岸寺前の石屋京屋多七。たくあん二十本を噛った下総葛西村の百姓藤十郎という猛者もいた。 変わったのは、長さ七寸の鰹節五本を、がり....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
記となるとまるで成っていない。ヘタな修羅場読と同様ただ道具立を列べるのみである。葛西金町を中心としての野戦の如き、彼我の五、六の大将が頻りに一騎打の勇戦をしてい....
江戸の化物」より 著者:岡本綺堂
す。 この河童というものが、江戸付近の川筋にはよく出たものです。どういう訳か、葛西の源兵衛(源兵衛堀―いまの北|十間川のこと)が名所になっています。 徳川の....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
の上頭におり、毛人の域を管領していたものである。 文治五年藤原氏滅んで、頼朝は葛西清重をして奥州を管領せしめた。しかもこの夷地には普通の行政を施すことが出来難....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
申すのだろうが、慥か永禄の七年|甲子の正月七日八日の戦いは激しかったという、向う葛西領の敵手は北條氏綱氏康父子が陣を取り、此方は里見安房守義弘、太田新六|郎康資....