葦原[語句情報] »
葦原
「葦原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
葦原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ら兄貴へ身代を譲るのが昔からのしきたりじゃござんせんか」 「しかり、それでこそ豊
葦原《とよあしはら》瑞穂国《みずほのくに》が、ご安泰でいられると申すものじゃが、....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
泥炭地を写したと覚しい晩秋の風景画だった。荒涼と見渡す限りに連なった地平線の低い
葦原を一面におおうた霙雲のすきまから午後の日がかすかに漏れて、それが、草の中から....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
なによりにおじゃる。祖先の御遺訓を守るは孝の第一、神を敬するは国の誉、そなたも豊
葦原瑞穂国にお生れの立派な若殿様じゃ。わははは。いやなに、わははは。では、みなの....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
きました。ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国と呼び、またの名を豊
葦原水穂国とも称えていました。 こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
の水は透明清冽で博多織糸の漂白場であったが、ずっと上流まで博多湾から汐がさして、
葦原と白砂の洲が到る処に帯のように続いていた。その水深約一尺以内の処にはハラジロ....
「転機」より 著者:伊藤野枝
れになっているが、河の向う岸は丈の高い葦が、丈を揃えてひしひしと生えている。その
葦原もまた何処まで拡がっているのか解らない。しかし、左側の生々した畑地に慰さめら....
「燕と王子」より 著者:有島武郎
けたり葦の間を水に近く日がな三界遊びくらしましたが、その中一つの燕はおいしげった
葦原の中の一本のやさしい形の葦とたいへんなかがよくって羽根がつかれると、そのなよ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
止め、下を略するは一種の語格なり」と云ってある。「豊旗雲」は、「豊雲野神」、「豊
葦原」、「豊秋津州」、「豊御酒」、「豊祝」などと同じく「豊」に特色があり、古代日....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
原形らしいものは殆ど全部この地で見ることができます。 天孫降臨の段に、天稚彦を
葦原の中ツ国につかわした。ところが日本平定の大事を忘れて大国主の娘と良 い仲にな....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
むべき状態であったのである。そして我が天孫は、彼らを懐柔し、彼らを撫育し、この豊
葦原の瑞穂の国を安国と平らけく治ろしめすべく、降臨し給うたものと信ぜられている。....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
聞いて、感慨ことに深からざるをえぬ。 案ずるに我が天孫民族の国家の発展は、「豊
葦原の瑞穂国を安国と平けく治ろしめせ」との天津神の依ざしを受けたものだとの、確乎....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
いるのである。別して、関東地方の事については常陸風土記信太郡の条に、 風俗諺曰、
葦原鹿其味若爛、喫異。 と云い、また多珂郡の条に、 古老曰、倭武天皇為。 などと....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
に従うべきものであると思考せられる。 ヤマト或いは日本の外に、古く大八洲国、豊
葦原瑞穂国、
葦原中国、玉墻内国、細戈千足国、磯輸上秀真国、或いは虚見倭国、秋津洲....
「古事記」より 著者:太安万侶
行きました。そこでイザナギの命はその桃の實に、「お前がわたしを助けたように、この
葦原《あしはら》の中の國に生活している多くの人間たちが苦しい目にあつて苦しむ時に....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
臣隷せしめよ」と仰せられております。これは「中臣祓」にも書いてあります事で、「豊
葦原の瑞穂国を安国と定め給ふ」という事が、天孫治国の一大信条でありました。豊
葦原....