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蒙塵
「蒙塵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蒙塵の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「倫敦消息」より 著者:夏目漱石
た。 魯西亜《ロシア》と日本は争わんとしては争わざらんとしつつある。支那は天子
蒙塵《てんしもうじん》の辱《はずかしめ》を受けつつある。英国はトランスヴ※ールの....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
王李昭、世子|光海君以下王妃|宮嬪数十人、李山海、柳成竜等百余人に護られて、遠く
蒙塵する事になった。四月二十九日の午前二時、士民の哀号の声の中を西大門を出たので....
「鴉片を喫む美少年」より 著者:国枝史郎
筏船などが、僕達の船の傍を通った。 今にも鎮江が陥落しそうだとか、北京の清帝が
蒙塵するらしいとか、戦争の噂は船中にあっても聞こえ、その噂はいつも支那側にとって....
「魔都」より 著者:久生十蘭
うに映るのか知れたもんじゃない。それに逃げてくれというその王様は、事実上どこかへ
蒙塵しているのだから、いわば御注文通りなのである。
加十は花の肩に手を置いて、....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
き、英、米、仏、独、露、日、墺、伊、八カ国の出兵となり、清国政府は陜西省の西安へ
蒙塵したが、昨年の十二月、列国公使会議から十六カ条の要求を含む議定書を突きつけら....
「犂氏の友情」より 著者:久生十蘭
にある。大人は豹変す、の筆法で、わたしは「本郷バー」へ帰らずに、このままどこかへ
蒙塵《もうじん》してしまうつもりだが、なんとしても心がかりなのは、あちらへ残して....
「三国志」より 著者:吉川英治
うな信義のないことは、丞相孔明の死去のときから分りきっている」 「いっそ、南方へ
蒙塵あそばすのが、いちばん安全でしょう。南方はまだ醇朴な風があるし、丞相孔明が布....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たような声を発した。 いまや取る途はそれしかないとは分っていたが、動座は天皇の
蒙塵を意味する。――この夜をかぎりに、皇都は皇室なき空都となり、この国の歴史の断....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
き研がれずにはいられなかった。 「一死か。一挙の成功か」 賭けは、すでに笠置|
蒙塵の日、踏みきッておられたもの。あのさいの大覚悟をおもえば、脱島の冒険とて、何....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
山家を御宿所にさがし求めた。 この仲時は、さきに六波羅を捨てると決して、天子の
蒙塵をおすすめしたさい、天子の御父後伏見からいたく責められたことを、心魂に徹して....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
者たるのかたちで、公卿すらも弓箭を取って陣頭に出ていたのだった。 だからおなじ
蒙塵(天子の御避難)でも、今日の恐怖は、往時の比ではない。――賢所の渡御(三種ノ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
例しさえある。――それを、尊氏|来るの風騒に怯え、たちまち都を空にして、みかどの
蒙塵を仰ぎなどしたら、それこそ、いよいよ武士どもを思い上がらせ、世の物笑いとなる....