蒲原[語句情報] »
蒲原
「蒲原〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蒲原の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
に、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は
蒲原郡《かんばらごおり》筍谷《たけのこだに》を通って、蛸壺峠《たこつぼとうげ》へ....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
、永平寺を逐電したのは、その翌日である。 その二 越後国|
蒲原郡新発田の城主、溝口|伯耆守の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出....
「ルバイヤート」より 著者:小川亮作
文や散文の訳が数多く試みられた。わが国でも、明治四十一年(一九〇八年)にはじめて
蒲原有明がフィツジェラルドの訳書中から六首を選んで重訳紹介して以来、今日までに多....
「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
日本に於ける最初の、そして絶後の主観的高調時代であった。(だから当時の詩壇には、
蒲原有明《かんばらありあけ》、北原白秋の如き秀才が一時に出た。)しかしながら日本....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら甲州の方へ山が続いている。前は清水港、檣柱《ほばしら》の先から興津《おきつ》、
蒲原《かんばら》、田子《たご》の浦々《うらうら》。その正面には富士山が雪の衣をか....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
うへ普請をすると八十両株が高くなると清次郎が話した。 この年、またまた、兄と越後
蒲原郡水原の陣屋へ行った。四方八方巡見したが面白かった。越後には支配所のうちには....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
というに、山田(孝雄)博士の考証がある(講義)。駿河国府(静岡)を立って、息津、
蒲原と来るのだが、その
蒲原まで来るあいだに田児浦がある。静岡から息津まで九里、息....
「遠藤(岩野)清子」より 著者:長谷川時雨
おろか》なりといひて 高笑ひ君はまことに 命惜しみき 泡鳴子をおもうと、
蒲原有明《かんばらありあけ》氏の歌も刻されてある。 かくのごとき文人と、その最....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
から後のが自分のものである。その当時は象徴派、ロマンチック派等が詩壇に起って僕は
蒲原有明、上田敏、薄田泣菫などのものを読んだ。 其頃学校の方では校長岡倉覚三先....
「詩語としての日本語」より 著者:折口信夫
、所謂象徴詩人の象徴詩に現れた言語の、厳格な意味における象徴性と言うものは、実際
蒲原有明さんの象徴詩の試作の示されるまでは、夢想もしなかったことだった。私はまだ....
「越後獅子」より 著者:羽志主水
だが、何を聞いて居たネ」 「何んでも越後獅子て云うんだが、彼れはネ、私の国では、
蒲原《かんばら》獅子と云いますヨ」 「ウン
蒲原獅子か、面白いネ。其の何所ン所だっ....
「平ヶ岳登攀記」より 著者:高頭仁兵衛
なしている、また兎、中、駒、八海、荒沢、大鳥岳の連嶺は数十条の残雪を有していて、
蒲原の平野も日本海も脚下に開展している、快晴の日には佐渡も富土山も認めることが出....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
し移植の俘囚の籠った所であろう。奥羽地方にはことにそれが多いが、越後においては西
蒲原郡弥彦村に※穴、中
蒲原郡大形村|海老ガ獺、南浦原郡中の島村海老島、中頸城郡八....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
うものを開いたのである。 国木田独歩、島崎藤村、柳田国男、田山花袋、中沢臨川、
蒲原有明などという先輩の驥尾に付して武林繁雄(無想庵)や私なども、よくその会へ出....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
ったことを、私は未だにはっきりと記憶している。 私は日本橋を渡りながら、いつも
蒲原有明の詩を頭に浮べた。 朝なり、やがて濁り川 ぬるくにほえど、夜の胞を たゆ....