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蒲生
「蒲生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蒲生の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「単独行」より 著者:加藤文太郎
を歩き廻ったかと思うと感慨無量、しばし見入らずにはいられぬ。黒部川を下って国道を
蒲生峠に登り荒れた道を塩谷に下り、岩美駅へ午後九時半まで歩いた。午後十時十三分汽....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
庄三郎信輝、滝川左近将監一益、丹羽長秀なんぞの勇将が控え、以上四陣地の東方には、
蒲生忠三郎|氏郷、森庄蔵|長可、木下藤吉郎秀吉、明智十兵衛光秀等が陣した。都合総....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
した処がある。 賤岳合戦記 太閣記 川角太閣記 豊鑑 豊臣記
蒲生氏郷記 佐久間軍記 清正記 脇坂家伝記 並に 近世日本国民....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
犯したと云うべきだ。 秀吉の出陣 天正十八年二月七日、先鋒として
蒲生|氏郷が伊勢松坂城を出発した。続いて徳川家康、織田信雄は東海道から、上杉景勝....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
過去の皇室の衰え方と言えば、諸国に荒廃した山陵を歴訪して勤王の志を起こしたという
蒲生君平や、京都のさびしい御所を拝して哭いたという高山彦九郎のような人物のあらわ....
「夏目漱石先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
。当時自分のほかに先生から俳句の教えを受けていた人々の中には厨川千江、平川草江、
蒲生紫川(後の原医学博士)等の諸氏があった。その連中で運座というものを始め、はじ....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
聯《かんれん》して、天正十八年、陸奥《むつ》出羽《でわ》の鎮護の大任を負わされた
蒲生氏郷《がもううじさと》を中心とする。 歴史家は歴史家だ、歴史家くさい顔つき....
「白金之絵図」より 著者:泉鏡花
のではない。こりゃ牛鋪じゃ。が、店を開くは、さてめでたいぞ。 ほう、按腹鍼療、
蒲生鉄斎、
蒲生鉄斎、はて達人ともある姓名じゃ。ああ、羨しい。おお、琴曲教授。や、....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
士族邸を、松山へ引いて来て士族を住まわせたのであるが、その後、加藤家に代ったのが
蒲生家で、
蒲生家に代ったのが松平家(今の久松家)即ち私の旧藩主である。それ故松平....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 〔巻一・二〇〕 額田王 天智天皇が近江の
蒲生野に遊猟(薬猟)したもうた時(天皇七年五月五日)、皇太子(大皇弟、大海人皇子....
「金銭無情」より 著者:坂口安吾
。猿面冠者が淀君を物にするには太閤にならなければならなかつたが、むろん太閤だつて
蒲生氏郷の未亡人や千利休の娘にふられる、だから本当の限度はきりがない。けれどもと....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
が市井の町家の型に適らず、戯作者仲間の空気とも、容れなかったからであろう。馬琴が
蒲生君平や渡辺|崋山と交際したのはそれほど深い親密な関係ではなかったろうが、町家....
「古事記」より 著者:太安万侶
の造・道ノシリキベの國の造・スハの國の造・倭のアムチの造・高市《たけち》の縣主・
蒲生《かもう》の稻寸《いなき》・三枝部《さきくさべ》の造たちの祖先です。 天の岩....
「雪の日」より 著者:近松秋江
したねえ。それでもあの年三月|家を持って、半歳ばかりそうであった、が秋になって、
蒲生さんの借家に行った時分から止んだねえ」 「ええ、あの時分はあなたがもうどうせ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
産後七十五日の汚穢を除き、本の村に還住す。故に自其の村を呼んで産所村といふなり。
蒲生郡宿村。(上略)宿村、産所村とて国々の内所々にある事也。然れども後世に及んで....