蔭涼軒日録[語句情報] » 蔭涼軒日録

「蔭涼軒日録〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蔭涼軒日録の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
ゅし》の孝子に授けた由を作ってより、猩々は日本で無性に目出たがられ、桜井秀君は『蔭涼軒日録《いんりょうけんにちろく》』に、延徳三年泉堺の富家へ猩々に化けて入り込....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
いのものである。しかしてその公家の数も明応二年のころ総計六十七家のみであったと『蔭涼軒日録』の六月五日の条に見えているによって考えると、それら公家衆が総出で行な....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
ねばならぬ。ここに燕丹とはエタの事である。この説は既に室町時代に行われたもので、蔭涼軒日録(長享二年八月十一日及び卅一日条)にもその事が見えている。燕丹のことも....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
、彼らと同じ役務に従事した賤者の諸所にあったことは、疑いを容れなかろう。また、『蔭涼軒日録』長禄二年十一月二十二日条には、 也。 とある。この北畠・柳原両所の....
放免考」より 著者:喜田貞吉
の声聞師と呼び、毎年正月十八日の三毬打に際し、禁裏に参上したものであった。また「蔭涼軒日録」長禄二年十一月二十二日条に、相国寺領北畠・柳原の散所の事が見えている....