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「蕃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蕃の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
東亜大陸に於ては漢民族が永く中核的存在を持続し、数次にわたり、いわゆる北方の族に征服されたものの、強国が真剣に相対峙したことは西洋の如くではない。殊に族....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
る美人であったので、部下の者は彼に注意した。 「将軍はなぜ麗人を同道して、こんな地へ踏み込んでお出でになったのです。ここらの山の神は若い女をぬすむといいます。....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
に腫物はおのずから癒えた。(同上〉 馬絆 吏部尚書の※氏の話に、かつて八に在任の当時、官用で某所へ出向いた。 途中のある駅に着いた時に、駅の役人が注....
栃の実」より 著者:泉鏡花
る。その頃、藁家の軒札には虎杖村と書いてあった。 ふと、軒に乾した煙草の葉と、椒の間に、山駕籠の煤けたのが一挺|掛った藁家を見て、朽縁へ※道を向うへ切って、....
売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
据えていた、大島揃、大胡坐の熊沢が、ぎょろりと平四郎を見向いて言うと、笑いの虫は椒を食ったように、赤くなるまで赫と競勢って、 「うはははは、うふふ、うふふ。う....
古狢」より 著者:泉鏡花
ど、可厭よ、私、こんな処で、腰掛けて一杯なんぞ。」 「大丈夫。いくら好きだって、椒では飲めないよ。」 と言った。 市場を出た処の、乾物屋と思う軒に、真紅な....
小春の狐」より 著者:泉鏡花
にも入ろう。「あり候」に挨拶の心得で、 「おかみさん、この柿は……」 天井裏の椒は真赤だが、薄暗い納戸から、いぼ尻まきの顔を出して、 「その柿かね。へい、食....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
ざいます、居酒屋、といった処で、豆腐も駄菓子も突くるみに売っている、天井に釣した椒の方が、燈よりは真赤に目に立つてッた、皺びた店で、榾同然の鰊に、山家|片鄙は....
政談十二社」より 著者:泉鏡花
、埃も立たない秋の空は水のように澄渡って、あちらこちら蕎麦の茎の西日の色、真赤な椒が一団々々ある中へ、口にしたその葉巻の紫の煙を軽く吹き乱しながら、田圃道を楽....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
。将軍家に取っては甚だ煙ッたい人。夙に聖賢の道に志ざし、常に文武の教に励み、熊沢山その他を顧問にして、藩政の改革に努め、淫祠を毀ち、学黌を設け、領内にて遊女稼....
ドモ又の死」より 著者:有島武郎
ら暗示を得て書いたものだ) 人物 花田 ┐ 沢本 (諢名、生) │ 戸部 (諢名、ドモ又) ├若き画家 瀬古 (諢名、若様) │ 青島....
軽女」より 著者:上村松園
んだことであろう。しかし、それも束の間で、いよいよ明日は、 「岡山の国家老池田玄殿のお招きにより岡山へ参る」 と、いう内蔵助のいつわりの言葉をきいてお軽も二....
明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
水、橋本峩山、新井日薩、七里恒順、などという人々がおった。それから居士として島田根だの、大内|青巒《せいらん》だの、鳥尾得庵だのみな仏教の側の人々であった。殊....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
シャンパンを傾け、万歳を呼びて帰る。その絶壁を上下する石径の険悪なること、台湾生界の山路を想出するに足る。その岬頭の最高点は海抜一千十七尺あり、山上には岩石あ....
大利根の大物釣」より 著者:石井研堂
を投ずるを惜むこと金の如く、投ずれば、必ず好結果を期待して誤らず。恰も、台湾|生の、銃丸を惜むこと生命の如く、一丸空しく発せず、発せば必ず一人を殪すに似たり。....