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「蕪村〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蕪村の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
日光小品」より 著者:芥川竜之介
石をはなれてふたたび山道にかかった時、私は「谷水のつきてこがるる紅葉かな」という蕪村《ぶそん》の句を思い出した。 戦場が原 枯草の間を沼のほとり....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
から、わたしもいささかその心得はある。几董を訊かれて、わたしはすぐに答えた。彼は蕪村の高弟で、三代目夜半亭を継いだ知名の俳人であると説明すると、老人はうなずいた....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
に戯れ、以て個中の別天地を楽しんでいる。 聞説、またかれは何人から耳にしたのか蕪村の風流をしたい、そが半生の逸事佳話は一つとして識らざるなく、殊に驚嘆すべきは....
青春論」より 著者:坂口安吾
」トイフ語ハタクミガアツテ甚ダ面白クナイソレカラ見ルト五月雨ヤ大河ヲ前ニ家二軒(蕪村)トイフ句ハ遥カニ進歩シテ居ル」という実のない俳論をやっている。子規の言って....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
ては、大事な大事な公達ではないか」 「……公達にきつね化けけり宵の春か……やはり蕪村はうまいなあ」銀之丞はひょいと横へ反らせた。 「何んだ俳句か、つがもねえ」造....
桜花を詠める句」より 著者:杉田久女
に見えている花の辺りにも行って見よう、という即興の句、其当時としては佳句の方で、蕪村の玉藻集にものせられたのかしれぬが(玉藻集は蕪村編ではなく死後門弟の編輯した....
悲願に就て」より 著者:坂口安吾
っているうちに、ついなんとなく焼きこんだのが「古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し」という蕪村の句である。その壺を見た友人達が、壺をひねくりながら、どうもこの壺は露骨で厭....
茶の湯の手帳」より 著者:伊藤左千夫
おどしと見て差支ない、原来趣味多き人には著述などないが当前であるかも知れぬ、芭蕉蕪村などあれだけの人でも殆ど著述がない、書物など書いた人は、如何にも物の解った様....
三枚続」より 著者:泉鏡花
出入ってござればおつきあいがおつきあいじゃから、ふァふァふァ。」と鯉|呑麩の口、蕪村がいわゆる巨口玉を吐く鱸と相似て非なるものなり。 青年はこれに答うる術も知....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
奔放|遒勁なる筆力は椿年よりはむしろ隆古から得たのであろう。が、師伝よりは覚猷、蕪村、大雅、巣兆等の豪放洒落な画風を学んで得る処が多かったのは一見直ちに認められ....
火と氷のシャスタ山」より 著者:小島烏水
れはしまいか、即ち自分の国の自然に似ている方面と、似ていない方面との二つである。蕪村であったか誰だったか、「花茨故郷の路に似たるかな」は、似た方からの見方だ。そ....
古陶磁の価値」より 著者:北大路魯山人
仏があるとしましたら、法隆寺あたりがここにある。周文あたりがこんなところにいる。蕪村とか、応挙とか、こんなところにまごまごしているというようなことになって、ここ....
河豚は毒魚か」より 著者:北大路魯山人
雅邦でもない。崋山、竹田、木米でもない。呉春あるいは応挙か。ノー。しからば大雅か蕪村か玉堂か。まだまだ。では光琳か宗達か。なかなか。では元信ではどうだ、又兵衛で....
田螺」より 著者:北大路魯山人
室内に置いて見よと言うが、さて、それをわざわざ試みるほどの物好きもない。しかし、蕪村の句と伝えるものに、こんなのがある。 よく聴けば桶に音を鳴く田螺哉 して見....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
も今ではもうすっかり裸になっている。それから掘割に沿うた往来も――僕は中学時代に蕪村句集を読み、「君行くや柳緑に路長し」という句に出会った時、この往来にあった柳....