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薄幸
「薄幸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薄幸の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「支倉事件」より 著者:甲賀三郎
頼るべき人を求めたのは、薄情と云わば云え、又止むを得ない事ではなかろうか。筆者は
薄幸なりし彼女の半生に一掬の涙を濺ぐに止まって、敢て彼女を責めようとはせぬ。 ....
「俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
画の題材であるか、あるいは彼の詩の資料のように見えた。また一茶には森羅万象が不運
薄幸なる彼の同情者|慰藉者であるように見えたのであろうと想像される。 小宮君も....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
群がる白雲のごとくわきだしたところであった。かれはいまチビ公の嗟歎を聞き、覚平の
薄幸を思うとこの世ははたしてそんなにけがらわしきものであるかと考えずにいられなか....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
うことであった。幾度かの恩赦《おんしゃ》によって、再び日の光を仰ぐ身となったが、
薄幸のうちに死んでしまった。 六 ささや桃吉《ももきち》、春本万....
「源氏物語」より 著者:紫式部
将がお聞きになれば、何か中傷をしたかと私の思われますのがあさましゅうございます。
薄幸な私はただいじめるために言っていらっしゃることでも重大なことのように苦しみま....
「スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
うに真暗にしていた。この橋をわたるのは、世にもつらい責苦だった。まさにこの地点で
薄幸なアンドレは捕まったのであり、この栗や葡萄づるのかげに逞ましい郷士たちが身を....
「税所敦子孝養図」より 著者:上村松園
学んだが、二十歳の年に縁あって薩摩の藩士、税所篤之氏に嫁いだのである。 しかし
薄幸な女史は八年のちの二十八歳に夫に死別されたのである。 女史は夫篤之氏の没後....
「艶色落語講談鑑賞」より 著者:正岡容
者の方が、寄席へ出演したのでは、明治末年の大阪堀江六人斬事件で両腕斬り落とされた
薄幸の芸者妻吉がある。戦前、この惨劇は映画化されて、森静子が妻吉に扮したことがあ....
「我が円朝研究」より 著者:正岡容
きやした」というのである。歓びたちまち凶と変じて、数時間後には大利根の藻屑となる
薄幸の花嫁の運命を象徴すべく、盲目馬とは何たる憎い配合だろう。私の圓朝に脱帽せず....
「河豚食わぬ非常識」より 著者:北大路魯山人
ままのふぐ料理屋が東京に少なからず散在する際だから、この美食恵沢に未だ出合わない
薄幸者は一生の不覚を悔に残さぬよう、翻然なにをおいてもまずふぐ料理の美味を試むべ....
「空中征服」より 著者:賀川豊彦
を忌避するがごとき曖昧なる態度に出で、味方に悦ばれず敵に尊敬せられず、孤立無縁の
薄幸児としてついに十字架の上に倒る。 君を葬るに煙をもってするは、君に忠なるゆ....
「三国志」より 著者:吉川英治
とは、東漢の歴代中でも、この献帝ほどの方は少ないであろう。そのご生涯は数奇にして
薄幸そのものであったというほかはない。 しかも今また、魏の臣下から、臣下として....