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薙髪
「薙髪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薙髪の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
つ討たぬなどは、それはまだ世にあるうちのことじゃ。見らるる通り、了海どのは、染衣
薙髪《せんいちはつ》の身である上に、この山国谷七郷の者にとっては、持地菩薩の再来....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
ていいと思う。 大阪へ着くと、幸村は、只一人大野修理治長の所へ行った。その頃、
薙髪していたので、伝心|月叟と名乗り、大峰の山伏であるが、祈祷の巻物差しあげたい....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
であって、持豊に至って鬱然として細川氏の一大敵国をなして来たのである。持豊は即ち
薙髪して宗全と云う。性、剛腹|頑陋、面長く顔赤き故を以て、世人これを赤入道と呼ん....
「運命」より 著者:幸田露伴
遇い、老実貞良の忠臣の口より、簒国奪位の叔父の死を聞く。世事測る可からずと雖も、
薙髪して宮を脱し、堕涙して舟に上るの時、いずくんぞ茅店の茶後に深仇の冥土に入るを....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
してここに挙ぐべきものは谷文晁一人に過ぎない。文晁、本文朝に作る、通称は文五郎、
薙髪して文阿弥といった。写山楼、画学斎、その他の号は人の皆知る所である。初め狩野....
「遺言状・遺族善後策」より 著者:二葉亭四迷
るべし 一 柳子殿は時機を見て再婚然るべし 一時の感情に任せ前後の考もなく
薙髪などするは愚の極なり忘れてもさる軽挙を為すべからず....
「興津弥五右衛門の遺書」より 著者:森鴎外
たし候て、豊前国興津に参り候。 寛永元年五月|安南船長崎に到着候時、三斎公は御
薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御茶事に御用いなされ候珍らしき品買い求め候様....
「一世お鯉」より 著者:長谷川時雨
の、最初の口火としての偽証罪にとわれ、未決に拘禁されたのは世人知るところであり、
薙髪《ちはつ》して行脚《あんぎゃ》に出た姿も新聞社会面を賑《にぎ》わした。おお! 何処までまろぶ、露の玉やら――....
「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」より 著者:森鴎外
十余年の昔に相成り候事に候。寛永元年五月|安南船長崎に到着候節、当時松向寺殿は御
薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御|茶事に御用いなされ候珍らしき品買求め候様....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
小山四郎朝政の斃《たお》すところとなってしまつた。面目を失った行秀は狩場において
薙髪《ていはつ》し逐電して熊野に入り、ここで日夜とも法華経を読誦して、せめてもの....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
しんで一首の歌を詠じたのが妙椿に伝わり、同情を得て取り返すことができた。その後|
薙髪して素伝といい、多く小田荘郡上城にいた。文明三年宗祇に『古今集』の註解につい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
狂い”と人もいう得たいのしれぬ奇病がある。 そのため先年、病後の床あげを機に、
薙髪して入道となった。同日、佐々木高氏も「いささか君に殉じ奉る心で……」と、惜し....