»
薨
「薨〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薨の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
うかと存じて居ります。が、その前に一通り、思いもよらない急な御病気で、大殿様が御
薨去《ごこうきょ》になった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。
あれは確....
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜|忽然《こつぜん》として
薨去《こうきょ》された処《ところ》で、その
薨去が余り急激であったため、一時は井伊....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
一になったばかりの大将であった。父の秀康卿《ひでやすきょう》が慶長十二年閏四月に
薨《こう》ぜられた時、わずか十三歳で、六十七万石の大封を継がれて以来、今までこの....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
事件が出来《しゅったい》したのです」 嘉永六年七月には徳川|家慶《いえよし》が
薨去《こうきょ》したので、七月二十二日から五十日間の鳴物《なりもの》停止《ちょう....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
して行く。昨日は日本堤の消防署に命中、今日は東京湾の海中に命中。 ◯閑院宮殿下が
薨去された。 ◯目下マリアナ基地にはB29が六百機位いる見込み。 五月二十三日....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
して次第に動揺し、流言|蜚語また盛んに飛んだ。――病身がちであった将軍家光は既に
薨じているが、未だ喪を発しないのだとか、この冬には両肥の国に兵革疫病が起って、た....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
捧げ、平和の手段をもって暗に薩州の叛軍に応じたるかの土州民権論者は、大久保参議の
薨去を見てふたたびその気焔を吐き、処々の有志者を促して国会開設の請願をなさしめた....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
てくる。それを彼は格別怪しみもしないでいる。 鶴見はその『伝暦』を見て、太子|
薨去の時の宝算が四十九歳、または五十歳でおわしたことを知った。「そうして見れば、....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
三角恋愛の破綻を生じた如き、当時の欧化熱は今どころじゃなかった。 先年侯井上が
薨去した時、侯の憶い出|咄として新聞紙面を賑わしたのはこの鹿鳴館の舞踏会であった....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
』に、 俊明卿(宇治大納言隆国三男、大納言民部卿皇大皇后宮大夫源俊明、永久二年
薨)造仏之時、箔料ニトテ清衡令。 とある。これは俊明が特に剛直であったがために、....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
るは、未だ聞かざる所なり。 とある。宇治稚彦皇子とは稚郎子皇子の事であろう。皇子
薨じて宇治山上に葬るとは日本紀にあるが、散骨の事は記紀その他の古書にかつて見当ら....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
薬師如来の尊像を安置し、西の間は依然太子の御居室として遺されてあった所へ、太子の
薨後さらにその御為に敬造せられた釈迦如来の尊像を安置し、ここに両本尊安置の均斉を....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
毎年五円以上十円位まで大差はない。もし法王が位に即いた時とか、あるいは御出生、御
薨去というような場合は例外で、普通の僧侶でも一人二十円内外の収入があるです。高等....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
り聖なるものであった。神聖相続権は彼の血のなかにある。彼の父シャルル五世が、その
薨去のとき天国に、そして「三位一体」(神とキリストと聖霊との三位一体)に歓び迎え....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
寺関白近衛|基通が『俊成卿九十賀記』を書いた。翌元久元年十一月三十日に九十一歳で
薨じた。ちょうど『新古今集』の竟宴が行われる前の年であった。 彼の家集は『長秋....