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「薩長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

薩長の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
松江印象記」より 著者:芥川竜之介
許さなければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府に参与した薩長土肥《さっちょうどひ》の足軽《あしがる》輩に理解せらるべく、あまりに大いなる....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
た。佐幕派の首領は、家老の成田頼母で、今年五十五になる頑固一徹の老人である。 「薩長土が、なんじゃ、皆幼帝をさしはさんで、己れ天下の権を取り、あわよくば徳川に代....
乱世」より 著者:菊池寛
向せしめようとしていることなどが、彼によって伝えられた。 一藩は、色を失った。薩長の大軍が、錦の御旗を押し立てて今にも東海道を下って来るといったような風聞が、....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
諮問したる上、翌十四日朝廷へ奏問に及んだのである。 いずくんぞ知らん、その日は薩長二藩に対し、討幕の密勅が、下された日である。 即ち薩長や岩倉|具視の肚では....
十万石の怪談」より 著者:佐々木味津三
御決断も御覚悟もついているのに、重臣共がやれ藩名のやれ朝敵のといって何かと言えば薩長ばらの機嫌ばかりを取結ぽうと、毎日毎夜|埒もない藩議を重ねているのが煩わしく....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
出ることはできなかった。後には上奏の手続きを執った。井伊大老ですらそのとおりだ。薩長二藩の有志らはいずれも争って京都に入り、あるいは藩主の密書を致したり、あるい....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
継嗣問題が起こって来たおりに、今の将軍と競争者の位置に立たせられたのもこの人だ。薩長二藩の京都手入れはやがて江戸への勅使|下向となった時、京都方の希望をもいれ、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。この英国公使は前公使アールコックの方針を受け継いだ人で、かつては敵として戦った薩長両藩の人士と握手する位置に立ち、兵器弾薬の類まで援助を惜しまないについては、....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
軍家が、江戸城で謹慎していることだの、上野山内に、彰義隊が立籠っていることだの、薩長の兵が、有栖川宮様を征東大総督に奉仰り、西郷|吉之助を大参謀とし、東海道から....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
ち眺め、 「実に意外な事件だなア。世良田摩喜太郎は小藩の出ながら稀代の逸材、よく薩長とレンラクして倒幕にはたらいた奇才であったが、そのころ二十一二の小僧だったそ....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
、三日目に秩父の自宅へ戻って行った。 ★ ちょうどその頃は薩長軍が江戸をさして攻めのぼってきた時であった。山ちかい辺地とても、流言のざわめ....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
時の歴史を調べなければならない。 慶応三年九月であったが、土佐の山内容堂侯は、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。そこで一通の建....
夢のお七」より 著者:岡本綺堂
四月中旬であった。 彰義隊らとは成るべく衝突を避けて、無事に鎮撫解散させるのが薩長側の方針であったから、直ぐには攻めかかって来ない。彰義隊士も一方には防禦の準....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
栗上野介の輩のごときは仏蘭西に結びその力を仮りて以て幕府統一の政をなさんと欲し、薩長は英国に倚りてこれに抗し互に掎角の勢をなせり。而して露国またその虚に乗ぜんと....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
照をなして居るではないか」…… 以上は東亜新報掲載記事である。 明治維新以後薩長が維新の功に驕っていわゆる藩閥横暴となった事が政党政治招来の大原因となり、政....