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「薬園〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

薬園の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ましくさえずりだしたのをしりめにかけて、右門、平七のふたりは一ノ橋ご門から左へお薬園の前に抜け、ぐるりと回ってご本丸大奥外のお番屋を訪れました。ここはいわずと知....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
徳川幕府の調練場となり、維新後は桑茶栽付所となり、さらに拓かれて町となった。昔は薬園であったので、町名を元園町という。明治八年、父が初めてここに家を建てた時には....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
つあたりから枯れがれな太田新田の間の新道を進んだ。 瑞見は遠く蝦夷の方で採薬、薬園、病院、疏水、養蚕等の施設を早く目論んでいる時で、函館の新開地にこの横浜を思....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
され、それを尾州藩で一手に買い上げた。尾州家の御用という提灯をふりかざし、尾州御薬園御用の旗を立てて、いわゆる尾張薬種の荷が木曾の奥筋から馬籠へと運ばれて来る光....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
でしょう。 ところで、難なく一の御門の塀を乗越えて、その塀の下をズッと走るとお薬園《やくえん》であります。お薬園の築山の下へ来て、七兵衛の姿が見えなくなりまし....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
し、実際も裏書きする――織田信長が天主教に好意を持っていた時分に、この山を相して薬園の地とし、外国種の薬草三千種を植えたという事蹟は動かせないことだし、更にその....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》とは言えねえがね。なんしろ、お前さん、この胆吹山というやつが、織田信長の時に、薬園相応の土地だとあって、五十町四方を平らげて薬草を植えたんだからな。その種類が....
南国太平記」より 著者:直木三十五
傑にちがいなかった。彼は、シーボルトが来ると、第一に訪問した。それから、大崎村に薬園を作ったし、演武館、造士館、医学院、臨時館の設立、それによって、南国|片僻《....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
木の和名はどうでもよいワ、イヤそう捨て鉢にいうもんじゃない。小石川植物園には昔御薬園時代かに来た木も今なお現に生きているし、また今日では諸処にあった木も伐られて....
式部小路」より 著者:泉鏡花
なって、土手に肱枕をなすったんだとさ。 鵯がけたたましく啼き立てる。むこうのお薬園の森から、氷川様のお宮へかけて、真黒な雲が出て、仕切ったようにこっちは蒼空、....
二階から」より 著者:岡本綺堂
が評判になったのである。元園町一丁目十九番地の角店で、その地続きが元は徳川幕府の薬園、後には調練場となっていたので、若い侍などが大勢集って来る。その傍に美しい娘....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
は徳川幕府の調練場となり、維新後は桑茶栽付所となり、更に拓かれて町となった。昔は薬園であったので、町名を元園町という。明治八年、父が始めてここに家を建てた時には....
十六、七のころ」より 著者:永井荷風
。後年に至って、わたくしは大田南畝《おおたなんぼ》がその子淑《ししゅく》を伴い御薬園の梅花を見て聯句《れんく》を作った文をよんだ時、小田原|城址《じょうし》の落....
」より 著者:岡本かの子
えんな。 ――何ももてなしがない。これでも食うて見るか。この向うの御用屋敷内の御薬園で出来た甘藷だ。 ――これが評判のさつま芋というものか。町方では毒になるとい....
つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
|玄斎《げんさい》が隠居していた。玄斎は維新前|駒場《こまば》にあった徳川幕府の薬園に務めていた本草《ほんぞう》の学者で、著述もあり、専門家の間には名を知られて....