薬湯[語句情報] »
薬湯
「薬湯〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
薬湯の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
にあたって冷えたのであろうと言った。叔母は薬を煎《せん》じてくれた。千枝松はその
薬湯《やくとう》をすすったばかりで、粥《かゆ》も喉には通らなかった。 「藻はどう....
「竇氏」より 著者:田中貢太郎
。 後園の桃園では女の死体をおろした岳父が狂気のようになって、婢のはこんできた
薬湯を口や鼻から注ぎ込んでいた。 「魂よせじゃ、魂よせじゃ」 岳父は
薬湯の器を....
「黴」より 著者:徳田秋声
る家では、リュウマチを患っている老人のために、上州の方から取り寄せられた湯の花で
薬湯がほとんど毎日のように立てられた。笹村もそのたんびにその湯に浸った。それにそ....
「草藪」より 著者:鷹野つぎ
みも増してきていた。回診の折り院長は掌から手首にまでも及んだ焦色を見て首を傾け、
薬湯につけてあとを繃帯することを看護婦に命じた。 「このかたには附添いはないのか....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
ったり、役者であったりする。 今は故人となった桂文団治なども、そのつるつる頭を
薬湯へ浮かばせていたものであった。私の驚いたことには、彼の背には一面の桜と花札が....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
ことを今想起する。その古本屋は今は西洋|鞄鋪(旅行用鞄製造販売)になり、その隣は
薬湯(人参実母散
薬湯稲川楼)になっている。『精神啓微』は呉先生がいまだ大学生であ....
「カラマゾフの兄弟」より 著者:ドストエフスキーフィヨードル・ミハイロヴィチ
処方に書いてくださいましてね、これはたしかにききめがあるとのことでした。それらの
薬湯の素もやはり処方してくださいました。鉱泉は三十カペイカいたしますが、どうして....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
た麻疹に感染して、一応はどうやら癒ったものの、病毒が廻って全身に吹出物を生じた。
薬湯に連れて行くにもあまり見苦しいので家人も億劫がっていたところ、西岡という若い....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
なので、傘を傾けて通った。
大きい達磨を書いた油障子の立ててある髪結床の前に、
薬湯と、横板の看板のかかった湯屋があった。その横町の泥溝沿いに入って行くと、軒下....
「明治時代の湯屋」より 著者:岡本綺堂
った。 東京の湯屋は白湯を主としていたのであるが、明治二十年頃から温泉、鉱泉、
薬湯、蒸風呂などの種類が殖えた。そのほかに江戸以来の干葉湯というのもあった。大体....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
い、それから刻んで風呂に入れると神経痛に宜しい、それでタラタン湯と号して飲薬にも
薬湯にも用いております。 それから訶林という木がある。これもインドの言葉であり....
「上野」より 著者:永井荷風
端となるであろう。其文に曰く、「草津とし云へば臭気《にほひ》も名も高き、其本元の
薬湯を、ここにうつしてみつや町に、人のしりたる温泉あり。夏は納涼、秋は菊見遊山を....
「法然行伝」より 著者:中里介山
に宿ると夢を見てあやしんでいたのに法然が着いたと聞いて、このことだと思い合わせ、
薬湯を設け、美膳をととのえ、さまざまにもてなした。ここで法然は念仏往生の道を細か....
「つゆのあとさき」より 著者:永井荷風
みを覚えるくらいである。間貸の婆《ばば》は市ヶ谷|見附《みつけ》内の何とやらいう
薬湯《やくとう》がいいというので、君江はその日の暮方始めて教えられた風呂屋《ふろ....
「獄中通信」より 著者:戸坂潤
知らぬ花の花盛り。この頃は金板みがきをやめて足袋職人。毎日薬を食う。毎日ヒゼンの
薬湯に入る。書架は南側中央及び北が大切*。いざという場合には井戸に投げ込むのも可....