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「薬研堀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

薬研堀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
ばかりいるようになってから、かれこれ半月にもなりましたかしら。……」 ちょうど薬研堀《やげんぼり》の市《いち》の立つ日、お蓮は大きな鏡台の前に、息の絶えた犬を....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
るならあしたおいでよ」 「いいえ、あしたになってはまにあいませぬ。てまえは京橋|薬研堀《やげんぼり》のろうそくや大五郎と申す者でござります。うちの女房が、けさほ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
て帰った。 二 あくる二十八日の朝は空《から》っ風《かぜ》が吹いた。薬研堀《やげんぼり》の歳の市《いち》は寒かろうと噂をしながら、半七は格子の外に立....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
る気にならない。 この亭主に教えられて半蔵がおりおりあさりに行く古本屋が両国|薬研堀の花屋敷という界隈の方にある。そこにも変わり者の隠居がいて、江戸の時代から....
江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
は別なもの、今の待合です。また貸席を兼ねたものです。当時水茶屋で名高かったのは、薬研堀の初鷹、仲通りの寒菊、両国では森本、馬喰町四丁目の松本、まだ沢山ありました....
海の使者」より 著者:泉鏡花
、覚束ない。 けれどもその時、ただ何となくそう思った。 久しい後で、その頃|薬研堀にいた友だちと二人で、木場から八幡様へ詣って、汐入町を土手へ出て、永代へ引....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
と、絵でいった芝居見たままの、切組み燈籠《どうろう》が人を寄せた。 横山町や、薬研堀《やげんぼり》あたりの大店では荒い格子戸の、よく拭き込んだのをたてて、大戸....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
て元柳ばしぎわに船をつけてもらうと、抱っこしたまま、いい匂いのものにくるまれて、薬研堀《やげんぼり》の囲いものの家へ投りこまれた。 話はそれたが三河様というの....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
。巨大な箒木のそれのように、建物の屋根をぬきんでて、空を摩している形があったが、薬研堀不動の森の木であった。その森の木から北東の一帯に、両国の盛り場はあるのであ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
。 歳の市は浅草観音の市が昔から第一、その次は神田明神の市、愛宕の市、それから薬研堀の不動の市、仲橋広小路の市と、この五ヶ所が大きかった。 薬研堀と、仲橋広....
おせん」より 著者:邦枝完二
たしかに、笠森のおせんさんでござんしょう」 「おせんがいるッて。――ど、どこに」薬研堀の不動様へ、心願があっての帰りがけ、黒八|丈の襟のかかったお納戸茶の半合羽....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
物にも詳《つまびらか》ならず。『浮世絵類考』には姓氏を示さずして唯《ただ》両国|薬研堀辺《やげんぼりへん》に住し文政頃の人となすのみ。 北寿の板物は今日《こん....
葛飾土産」より 著者:永井荷風
》地蔵橋かかりし川、その他。 日本橋区内では○本柳橋《もとやなぎばし》かかりし薬研堀《やげんぼり》の溝渠(震災前埋立) 浅草下谷区内では○浅草新堀○御徒町忍....
申訳」より 著者:永井荷風
お民は矢張その様子にたがわず東京の下町に生れた者であった。 「わたし、生れたのは薬研堀ですわ。お父《とッ》つァんはとうに死んじまいました。」 僕は薬研堀と聞い....
雪の日」より 著者:永井荷風
別れる、わかれのさびしさに泣かねばならぬ人なのであろう……。 ○薬研堀《やげんぼり》がまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも....