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藤井
「藤井〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
藤井の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「一夕話」より 著者:芥川竜之介
「何しろこの頃《ごろ》は油断がならない。和田《わだ》さえ芸者を知っているんだから。」
藤井《ふじい》と云う弁護士は、老酒《ラオチュ》の盃《さかずき》を干《ほ》してから....
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
すがに微笑せずにはいられませんでした。通知の文面は極《ごく》簡単なもので、ただ、
藤井勝美《ふじいかつみ》と云う御用商人の娘と縁談が整《ととの》ったと云うだけでし....
「吉良上野の立場」より 著者:菊池寛
た、いつもの癇癪だ)と、家来たちは目を見合わせて、二人の江戸家老、安井彦右衛門と
藤井又右衛門の部屋へ走って行った。 内匠頭は、女どもに長上下《ながかみしも》の....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
ンドに帰って行き、永く末法の闇を照らすべきものだと予言しています。日本山妙法寺の
藤井行勝師がこの予言を実現すべくインドに行って太鼓をたたいているところに支那事変....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
楠軍は一旦兵を河内に還して居る。そして九月九日に八尾城を攻撃し、十七日には河内の
藤井寺附近に於て、大いに顕氏の軍を破り、正行は初陣の武名を挙げたのである。 『細....
「出奔」より 著者:伊藤野枝
もう何にも考えまいと思い思いやはりそれからそれへと考えは飛んで行った。 「郵便!
藤井登志という人いますか」 「ハイ」 出て見ると三通の封書を渡された。一通はN....
「死者の書」より 著者:折口信夫
代が、まだ続いて居た。 其飛鳥の都も、高天原広野姫尊様の思召しで、其から一里北の
藤井|个原に遷され、藤原の都と名を替えて、新しい唐様の端正しさを尽した宮殿が、建....
「葛の葉狐」より 著者:楠山正雄
」 という声が聞こえました。 悪右衛門が驚いて振り返ると、それは同じ河内国の
藤井寺というお寺の和尚さんでした。そのお寺は石川の家代々の菩提所で、和尚さんとは....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
志の白石正一郎様のお家に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、
藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿いなさいましてございます。そうしてご自身....
「迷信解」より 著者:井上円了
身書』に出でたる徳川家康が西方に向かって出陣せし話は、『草茅危言』に書いてある。
藤井懶斎が凶宅に住せし話は『先哲叢談』にあるも、その源は『閑際筆記』より引用した....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
見物した日には、菊五郎は病気だというので、その持役のうちで河童の吉蔵だけを勤め、
藤井紋太夫と浄瑠璃の喜撰法師は家橘が代っていた。団十郎の光圀はもちろん適任者で、....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
国大学の嘱によって石城山神籠石探検の為に登山した。同行者は日本歴史地理学会出張員
藤井、宮崎の両文学士と芦田伊人氏とで、別に、九州における熱心家にその人ありと知ら....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
て居ったものと見える。大宮さんは天台宗の方でなかなか洒落な人です。
停車場にて
藤井宣正氏と邂逅す
十二月十四日の日暮に私はちょっと外に出て居りますと、井上....
「西航日録」より 著者:井上円了
のために、車中の混雑常ならず。翌日午後二時、バンキポール停車場に着す。この駅にて
藤井宣正氏に面会せるは、実に奇遇というべし。これより当夜七時発の汽車に乗り込み、....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
さか客懐を慰むるに足る。午後一時、着市す。その里程百二十五マイルあり。公使館在勤
藤井実氏、甘利造次氏、三隅棄蔵氏、停車場内にありて歓迎せらる。目下、日置公使帰朝....