藤原清衡[語句情報] » 藤原清衡

「藤原清衡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

藤原清衡の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
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十二支考」より 著者:南方熊楠
建つ、広江寺これなり、時移ってかの寺破壊の後わずかに住持の僧一人鐘の主たりしが、藤原清衡砂金千両を三井寺僧千人に施す、その時、三綱某五十人の分を乞い集め五十両を....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
候はんずらん。 とあるがごときこれなり。これらは大宮人が安倍宗任を夷なりと嘲り、藤原清衡がみずから東夷の遠酋、俘囚の上頭をもって任じたると趣を異にし、事実蝦夷な....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
おいた。しからばその安倍頼時の女を母とし、清原武貞を継父としてその跡目を相続した藤原清衡が、それ自身俘囚であると認められたに不思議はなかるべきである。後世にも和....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
などで、彼らの事蹟はこれを証明すべきものなのであります。 安倍貞任、清原武則、藤原清衡、これらの人々の事を後世誰が蝦夷だと思うものがありましょう。系図の上から....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
の兵力のみをもってしてはとうてい清原氏に勝つことが出来なかった。彼は依然俘囚たる藤原清衡の援助を得て、ついによくこれを滅ぼしたのであったから、義家任満ちて都に帰....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
村麿も、少くとも昔の奥州の人は蝦夷仲間だと思っておりました。安倍貞任・清原武則・藤原清衡のような英雄・豪傑、佐藤忠信・西行法師の如き勇士・歌人なども、家柄を尋ね....