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蘭学
「蘭学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蘭学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
本へ伝来して大成するまでには、数代、数十代の努力を要している。それと同じように、
蘭学の大成も、数代を要するに違いないと思っていた。彼は、そうした一代に期しがたい....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
町に松村彦太郎という三百石の旗本が屋敷を持っていた。松村は相当に学問もあり、殊に
蘭学が出来たので、外国掛の方へ出仕して、ちょっと羽振りの好い方であった。その妹の....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
らず、この間において文学社会も世潮渦流の中に彷徨す。幕府の時代にありて早くすでに
蘭学を修め、一転して英に入り仏に入る者は、実に新思想の播布にあずかりたるや多し、....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
亦寄与したものはシーボルト一人であった。シーボルトが若し渡来しなかったら、日本の
蘭学や本草学はアレ程に発達しなかったであろうし。又日本の動植物や特殊の文明も全然....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
癒りませんな」 「ははあ、さようでございますかな。定命なれば止むを得ぬこと」 「
蘭学の方ではこの病気を急性肺炎と申します。今夜があぶのうございますぞ」 「今夜?....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
習ったことがある。そのころの勝海舟はいたって貧乏、まだ幕府には重用されず、剣術や
蘭学などをメシの種にしていた。習うこと二三年、海舟が官について多忙になったので、....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
太郎はふとした動機からその時まで懸命に学んでいた支那の学問を投げ捨てて当時流行の
蘭学を取ったがこれが開運の基となって彼の世界は展開された。彼はこんな順に立身した....
「生死卍巴」より 著者:国枝史郎
ことを申す女だ」 青木昆陽の門下であって、三年あまり長崎へ行って、蘭人について
蘭学を学んだ二十五歳の若侍の、宮川茅野雄は行きかかった足を、後へ返しながら女へ云....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
この雪次郎は面白いことには、江川塾へ這入ったものの、別に砲術を究めるでもなく、又
蘭学を学ぶでもなく、のらりくらりとしていたが、俄然一書を著わした。即ち、「緑林黒....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
ったい平賀様には、何が本職でございますかな? 本草学者か発明家か、それとも山師か
蘭学者か? お医者衆なのでございますかな。……」 ――などと云うような類であっ....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
ものは武道と学問。わけても陽明学を好み、傍ら大槻玄沢の弟子杉田|忠恕の邸へ通って
蘭学を修めようというのだから鷹にしても上の部だ。 二十八歳の男盛り。縹緻もまん....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
字通り一手に握っていたのが、当時の勝安房守安芳であった。武術は島田虎之助に学び、
蘭学は永井青涯に師事し、一世を空うする英雄であったが、慶喜に一切を任せられるに及....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
あの画技に勁烈な意気と共に軽妙な写生の一面を拓き、現実に早くから目を醒ましていた
蘭学者の渡辺崋山が住んでいたのである。その家はどのみちここから直ぐに手の届きそう....
「柳営秘録かつえ蔵」より 著者:国枝史郎
は歩いて行った。 爾来十数年が経過した。 その頃肥前長崎に、平賀|浅草という
蘭学者があった。傴僂で片眼で醜かったが、しかし非常な博学で、多くの弟子を取り立て....
「鷲」より 著者:岡本綺堂
る途中でも考えた。和田の屋敷の近所に魚住良英という医者が住んでいる。本草学以外に
蘭学をも研究しているので、医者というよりもむしろ学者として知られていて、毎月一度....