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虚子
「虚子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
虚子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「眉山」より 著者:太宰治
は、ひどく狼狽《ろうばい》して、 「林先生って、男の方なの?」 「そうだ。高浜|
虚子《きよこ》というおじいさんもいるし、川端|龍子《りゅうこ》という口髭《くちひ....
「映画時代」より 著者:寺田寅彦
は物足りないという観客が多数にあるかもしれない。それならばかつて漱石《そうせき》
虚子《きょし》によって試みられた「俳体詩」のようなものを作れば作れなくはない。 ....
「運命」より 著者:幸田露伴
しける。道衍|少きより学を好み詩を工にし、高啓と友とし善く、宋濂にも推奨され、逃
虚子集十巻を世に留めしほどの文才あるものなれば、道衍や筆を執りけん、或は又金忠の....
「俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
されやすく、模倣されやすく、従って享楽されやすいものになりそうである。 昔漱石
虚子によって試みられた「俳体詩」というものは、そういうものの無意識な萌芽のような....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
紀州や四国辺などには随分どっさりいるらしい。 私がある夏、伊予の道後温泉で高浜
虚子氏や朝日の大道鍋平君などとともに四、五日滞在したことがあった。ところがその宿....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
手には何かポプラアのような木が五、六本かいてある。その余白に「ほととぎす著。昨日
虚子君の消息を読み泣きました。この画はグレーといふ田舎の景色なり御病床の御慰みま....
「高浜さんと私」より 著者:寺田寅彦
トギス社を尋ねて一度昔話でもしてみたいような気のすることがある。今度改造社から「
虚子の人と芸術」について何か書けと言われたについて、その昔話をペンですることにす....
「青春論」より 著者:坂口安吾
ある晩、四条の駅で一緒になって電車の中で俳句の話をしながら帰ってきたが、この人は
虚子が好きで、子規を「激しすぎるから」嫌いだ、と言っていた。 けれども『仰臥漫....
「飯田蛇笏」より 著者:芥川竜之介
忽ち僕を撲滅した。 丁度やはりその前後にちょっと「ホトトギス」を覗いて見たら、
虚子先生も滔滔と蛇笏に敬意を表していた。句もいくつか抜いてあった。僕の蛇笏に対す....
「歳時記新註」より 著者:寺田寅彦
一 稲妻 晴れた夜、地平線上の空が光るのをいう。ドイツではこれを Wetterleuchten という。
虚子の句に「一角に稲妻光る星月夜」とある。『説文』に曰く電は陰陽の激曜するなりと....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊派等の諸文学(夏目漱石などその門下、高浜
虚子、長塚節、永井荷風、谷崎潤一郎等)については、森鴎外が、軍医総監であったこと....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
猿男、得中、五洲、洒竹、紫影、爛腸(嶺雲)、肋骨、木同、露月、把栗、墨水、波静、
虚子らの顔触であったかと記憶して居る。この中にはまだこの頃は面を出さず、『小日本....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
ぼ此の書によりて想察し得可し。 大正七年正月七日 ほととぎす発行所にて 高浜
虚子 漱石氏と私 一 今私は自分の座右に漱石氏の数十本の手紙を置....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
かつてある人の言葉に「
虚子の俳話は俗談平話のうちに俳諧の大乗を説くものなり」とあったことは我が意を得た....
「新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
ぬ趣がある。もしそれ牛屋の姉さんが断髪になって現れたら、これは事だ。しかし、高浜
虚子先生の説の通り、ちぐはぐにみえるのも、いつかは目なれるという事は本当だから、....