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「蝦夷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蝦夷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
カインの末裔」より 著者:有島武郎
れてその跡からとぼとぼとついて行った。 北海道の冬は空まで逼《せま》っていた。蝦夷富士《えぞふじ》といわれるマッカリヌプリの麓《ふもと》に続く胆振《いぶり》の....
初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
リカアフリカ濠州および我がアジアの大部分に向って試みたかを。また見よ、北の方なる蝦夷《えぞ》の島辺、すなわちこの北海道が、いかにいくたの風雲児を内地から吸収して....
北斗帖」より 著者:違星北斗
芝居の様に思ったり 病気を歌に詠んで忘れる 一雨は淋しさを呼び一雨は 寒さ招くか蝦夷の九月は 尺八を吹けばコタンの子供達 珍しそうに聞いて居るなり 病よし悲しみ....
層雲峡より大雪山へ」より 著者:大町桂月
の重なり合える峰に突き当り、右折して火口丘を下る。お花畑の連続にて、傾斜も緩也。蝦夷はこよもぎあり。大雪山中ここのみに生ず。白|竜胆あり。これもここのみに生ずと....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
文引ける公家の日記によっても明白な事実である。しからば彼らは果して俘囚すなわち熟蝦夷の種であったのであろうか。系図の伝うるところによれば、彼らは正しく田原藤太秀....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
人と呼ばれた隼人が奈良朝頃までもなお残存し、東北奥羽の地方には平安朝に至ってなお蝦夷が猖獗を極めたところのもの、いずれもかつては広く分布していたこれらの先住民族....
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
、そこへ蟾蜍を引き出す事も不自然と謂わねばならぬ。ここに久延毘古とはクエすなわち蝦夷族の男子の称で、山田の曾富騰とは山田の番人であろうとの事は、既に論じておいた....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
国栖代として、これを奏したと承っている。 久須という名義については、北陸方面の蝦夷を高志人と云い、樺太アイヌを苦夷と云い、千島アイヌを「クシ」というと同語で、....
国号の由来」より 著者:喜田貞吉
木乃伊となると云う説話なのである。しかるに地理上の知識が進んで、奥州の東にさらに蝦夷が千島の存在が知らるるに及んで、所謂日の本の名がそこに移り、木乃伊採りの話ま....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
貴が附随して来る。奥州の俘囚の長たる頼時は娘を都下りの散位平永衡に嫁して、累代の蝦夷の酋長はともかくも都人と姻戚の関係を結んだ。頼時の長子貞任はさらに深入りして....
オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
ったりしたとはいえ、その本来はアイヌのチセイコロカムイと同様のものであって、もと蝦夷の国であったこの東北地方に、今もってその遺風が保存せられたものと解したい。 ....
活人形」より 著者:泉鏡花
聞きて、よくよく思い詰めたる物と見ゆ。遥々我を頼みて来し、その心さえ浅からぬに、蝦夷、松前はともかくも、箱根以東にその様なる怪物を棲せ置きては、我が職務の恥辱な....
古事記」より 著者:太安万侶
つて、御墓を作つて收めておきました。 それからはいつておいでになつて、悉く惡い蝦夷《えぞ》どもを平らげ、また山河の惡い神たちを平定して、還つてお上りになる時に....
春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
明天皇朝に阿倍比羅夫の遠征によって郡が置かれ、当時津軽の辺にまで、内地化したる熟蝦夷がいたほどであった。しかるにこの山間の仙北地方は、なお久しく麁蝦夷すなわち生....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
民族、戦争の際に生じた捕虜などというような場合も想像せられ、現に征夷によって得た蝦夷の捕虜を、神饌として神社に寄付し、或いは奴隷として公卿に賜わったという実例も....