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蝦夷地
「蝦夷地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
蝦夷地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
たあとだ。いよいよ廃藩が断行され、旧諸藩はいずれも士族の救済に心を砕き、これまで
蝦夷地ととなえられて来た北海道への開拓方諸有志の大移住が開始されたのも、これまた....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
に向けられてるのであるならば、まだ殆《ほと》んど手をつけていない濶《ひろ》いこの
蝦夷地《えぞち》に、彼らの棲《す》む恰好《かっこう》の土地が無いはずはなかった。....
「津軽の虫の巣」より 著者:宮本百合子
うのだろうか。 津軽の虫の巣は珠である。ただ一|顆《つぶ》の輝やく珠玉である。
蝦夷地交易品の目録の中には青玉と記るされているその別名である。晴やかな青紫の円い....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
言わざる事をも言うようになっていて、数諫めて数聴かれた。寧親は文化元年五月連年|
蝦夷地の防備に任じたという廉を以て、四万八千石から一躍して七万石にせられた。いわ....
「日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
切断してそれが潮流のために広く深く掘りえぐられた、それから後にどこかからひぐまが
蝦夷地に入り込んで来たのではないかと想像される。四国にはきつねがいないということ....
「学者安心論」より 著者:福沢諭吉
。学者これを思わざるべからず。今の人民の世界にいて事を企《くわだ》つるは、なお、
蝦夷地《えぞち》に行きて開拓するが如し。事の足らざるは患《うれい》に非ず、力足ら....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
の出浜」「日の本」などの名も、これらの地方について呼ばれた。寛文頃に出来た一種の
蝦夷地図(函館図書館)には、今の北海道|胆振地方と見らるべき地域に、「是より東方....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
っておった蝦夷もこれには恐れ入ってしまいました。そこで彼は胆沢城に鎮守府を設けて
蝦夷地経営東北守備の根拠地となし、さらにその北の紫波郡の地に志波城を築きました。....
「望郷」より 著者:服部之総
い》、間宮林蔵《まみやりんぞう》そのたを参照して成ったものだが、樺太の南半は「北
蝦夷地」と書いて日本領に彩り、北半は「サカレン」と書いて白地のままである。千島に....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ちを周りに拵えていたものであることは否めまい。 当の公綱の思わくにすれば、遠い
蝦夷地ノ乱などで、連年いくら功をあげても、中央では知る者もないが、ここで楠木討伐....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
親房や結城宗広を後見として、この地へくだって来ていたのである。 陸羽の奥はまだ
蝦夷地のままといってよい。乱妨、反乱、同族の闘いなど、絶えまもない。――顕家は二....
「山の人生」より 著者:柳田国男
という例が少なくない。顔ばかりか肌膚全体が赤かったという噂さえ残っている。近世の
蝦夷地に、いわゆるフレシャム(赤人)の警を伝えた時、多くの東北人にはそれが意外と....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
めて峠の茶屋までも というようなものになっています。この信濃追分が北越の航路から
蝦夷地へ流れ流れてゆくうちに、いつとなく波の響きや艪拍子の中で洗われ揉まれて、遂....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
武蔵ではまた土呂の神明様の社の脇の大杉が、源義経の御箸であったと申します。義経は
蝦夷地へ渡って行く以前に、一度この村を通って、ここに来て休憩したことがあるのだそ....
「アイヌ宗教成立の史的背景」より 著者:知里真志保
宝暦8年(西紀1758)の著述と推定されるものでありますが、その本の上巻に、松前
蝦夷地の風俗の聞書として、“日和もふし”という行事の記事が見えております。“日和....