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「蠣殻町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

蠣殻町の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あらくれ」より 著者:徳田秋声
山の温泉宿や、精米所の主人もいた。精米所の主人は、月に一度くらいは急度《きっと》蠣殻町《かきがらちょう》の方へ出て来るのであったが、その時は上さんと子供をつれて....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
まとうので、屋敷跡の屯所の築山にも古狐か古猫のたぐいが棲んでいないとは限らない。蠣殻町《かきがらちょう》の有馬の屋敷の火の見|櫓《やぐら》には、一種の怪物が棲ん....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ンデー毎日」) 鳶 去年の十月頃の新聞を見た人々は記憶しているであろう。日本橋蠣殻町のある商家の物干へ一羽の大きい鳶が舞い降りたのを店員大勢が捕獲して、警察署....
うつり香」より 著者:近松秋江
情には変化はないと思い極めてしまうと、もうこれから早く一旦自家に帰って、出直して蠣殻町にゆくことにのみ心が澄んで来た。 喜久井町にかえると、老母さんは、膳立て....
縮図」より 著者:徳田秋声
う看板借りの姐さんと銀子が、一番忙しい方だった。浜龍は東金の姉娘の養女で、東京の蠣殻町育ちだったが、ちょっと下脹れの瓜実顔で、上脊もあり、きっそりした好い芸者だ....
足迹」より 著者:徳田秋声
言われるのが厭なので、このごろはその前を多くは素通りにすることにしていた。そして蠣殻町の方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町に訪ねるか、石川島の....
松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
度商法をね……当節は兎角商法|流行で、遠州の方から葉茶を送ってくれると云うので、蠣殻町に空家が有ったもんだから、それを借りて漸く葉茶屋を開店することに極りがやっ....
別れたる妻に送る手紙」より 著者:近松秋江
いて下さい。雪岡は何うでしょう、既う情婦を拵えてよ。矢張りまた前年のように浜町か蠣殻町らしいの。……あの人のは三十を過ぎてから覚えた道楽だから、もう一生止まない....
墓地の殺人」より 著者:小酒井不木
俊夫君が震える手をもって、受け取った名刺は、 歯科医 大村貞三 東京市日本橋区蠣殻町三丁目 右のごときものでありました。俊夫君はしばらくじっと見つめていまし....
式部小路」より 著者:泉鏡花
、お肴には何がある、錦手の鉢と、塗物の食籠に、綺麗に飾って、水天宮前の小饅頭と、蠣殻町の煎豌豆、先生を困らせると昼間いったその日の土産はこれで。丹平がここに金之....
茶の本」より 著者:岡倉由三郎
その方面の心得は、明治の十三年に大学(一八八〇)をおえて後、まだ自分たちと同じく蠣殻町の父の家に住居のころ、一六か三八か日取りは記憶せぬが月に数回、師を聘して正....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
しく下がって中芝居と認められたのは、本所相生町の寿座、四谷荒木町の桐座、日本橋|蠣殻町の中島座の三座で、その他はみな小芝居であった。金のかからない芝居を見ようと....
贋物」より 著者:葛西善蔵
な楽焼の湯呑で茶を飲んでいた。 「イヨー、すっかり米屋さんといった風じゃないか、蠣殻町だね、……どう見ても」ぬうっとはいってきた耕吉の姿を見上げて、芳本はくりく....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
たれば、在来の三座のほかに、京橋区中橋の沢村座、日本橋区久松町の喜昇座、おなじく蠣殻町の中島座、四谷の桐座、本郷区春木町の奥田座など、相前後して新築開場せり。 ....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
出」を上梓した頃だ。私は筋肉炎という未だかつて聞きもしなかった病気にとりつかれて蠣殻町は岩佐病院の一室にほとんど五十日余も入院していた。大手術を受けたのであった....