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衆徒
「衆徒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
衆徒の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
元年正月、官軍|三井寺《みいでら》攻めに) 前々《せんぜん》炎上の時は、寺門の
衆徒、これを一大事にして隠しける九乳《きゆうにゆう》の鳧鐘《ふしよう》も、取る人....
「連環記」より 著者:幸田露伴
顔をして先駆の列に立って、都大路の諸人環視の中を堂々と打たせたから、群衆は呆れ、
衆徒は驚いて、こは何事と増賀を引退らせようとしたが、増賀は声を※りあい的|諍議を....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
町与力同心のお供あり、神輿三社、獅子二かしら。法師武者とてよろいを着したる馬上の
衆徒十騎。出し屋台、ねり物。番数四十六番。町かずおよそ百三十余町。一の鳥居のまえ....
「雪の宿り」より 著者:神西清
えば鐘の音さえも、今朝からずっととだえているような気がする。この中を、仮に南都の
衆徒三千が物の具に身をかためて、町なかを奈良坂へ押し出したとしても、その足音に気....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
鳥羽殿《とばどの》へ五六騎いそぐ野分かな 新右衛門蛇足をさそふ冬至かな 寒月や
衆徒《しゅと》の群議の過ぎて後《のち》 高野 隠れ住んで花に真田《さなだ》が....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
はり一種の護法と云ってしかるべきものである。そして彼らは現にそれを使役する山門の
衆徒の指揮の下に、しばしば反対者に打撃を与えるべく活躍したものであった、護法の子....
「法然行伝」より 著者:中里介山
生を遂げた一人である。 野宮左大臣(公継)は法然と師弟の契り浅からず、興福寺の
衆徒が法然の念仏興行をそねんで、法然及びその弟子と共にこの人をも流罪に行われたい....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
みえる。 「かねての、諜じ合せをふくみ、護良(大塔ノ宮)と宗良のふたりも、一山の
衆徒をひきい、白川口、大津あたりまで出て、待ち迎えんと、書中に見らるる。――藤房....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ものらしい。 十津川の郷士竹原八郎一族を帷幕に加えて、熊野三山から高野、根来の
衆徒をひきいれ、大峰山脈の一帯をとりでと見なして、外洋では伊勢、熊野の海賊をつか....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
えに、 主上はすでに 大宮の彼岸所に御座あれど 未だ参ずる大衆一人もなし さては
衆徒も心を変じぬるや…… と、あるのを見ても、この日まだ、山門の意向さえも、は....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の念に、燃えきっている姿にみえる。 しかも麾下には、万余の新軍勢を加え、山門の
衆徒三千、さらに園城寺の大衆までをかぞえてみると、義貞すらが、 「まだ、かくも、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れを伝うるなきを遺憾とする。 当時大和に活躍したいわゆる「大和武士」の中には、
衆徒とは土着の人民で、もと身分の低いものであったが、それもだんだん勢力を得て長者....