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衆論
「衆論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
衆論の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
の連関に於て、全面的に追求し発見する、それは彼によって「民主主義的・無産者的・民
衆論理学」と呼ばれる「階級論理学」の一つの場合である(〔J. Dietzgen,....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
る。このことに就いて、先にすでに私は要点だけを述べた。 (一九三六) 10 民
衆論 西安事変以後の国民政府乃至蒋介石政権は、大体に於て抗日戦線を辿るかのよう....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
ロギーに基くものであり、三つには『文学界』や『日本浪曼派』を中心とする文士達の民
衆論議乃至日本伝統論に基くものだ。民族論議は「日本的」なるものや「日本の民衆」の....
「人の首」より 著者:高村光太郎
放心している。四隣人無きが如く連れの人と家庭の内輪話をしているお神さんもある。民
衆論を論じているロイド眼鏡の青年もいる。古着市に持ち出した荷物を抱えている阿父さ....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
ていずれを非とすべきやこれを定むべからず。是非いまだ定まらざるの間は仮りに世界の
衆論をもって公道となすべしといえども、その
衆論のあるところを明らかに知ることはな....
「三国志」より 著者:吉川英治
スデニアラワレ 神器ヲ損イ辱シメ宗廟ケガル 太后マタ教エニ母儀ナク 政治統テ荒乱
衆論ココニ起ル大革ノ道 李儒は、さらに声を大にして読みつづけていた。 百官の....
「三国志」より 著者:吉川英治
、一方諸将をあつめて、 「どうするか」を議していた。 諸説区々に出たが、曹操は
衆論のうちから、荀攸の卓見を採用した。荀攸が説くには、 「劉表は四十二州の大国を....
「三国志」より 著者:吉川英治
ょう。南方はまだ醇朴な風があるし、丞相孔明が布いた徳はまだ民の中に残っています」
衆論は区々である。帝はただ迷うばかりだった。 ときに重臣の※周が、やっと不器用....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
―南嶺北嶺の高きにある堂塔をおどり出た大衆の集合はもっと早かった。 そして、大
衆論議の場とされている大講堂の輪奐は、はや論議のない甲冑と刀箭に埋まり、ただ見る....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
のもぜひがない。 なるほど熊野、高野、いずこも朝廷との縁はあさくないが、衆徒の
衆論はまちまちである。分裂、さぐりあい、中立主義、ここも世間のそとではないのだ。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
こそ、われら朝臣の務めと申すべきではなかろうか」 というのであった。 これが
衆論にうけつけられなかったのは、前述のとおりである。けれど後醍醐の顧慮のうちには....
「日本の民衆と「日本的なるもの」」より 著者:戸坂潤
のであった。ブルジョア文学の圏内に於てさえ、まだ何等の定式を持てないでいるが、民
衆論が起きて来たことが之なのだ。小林秀雄氏が民衆を論じ出したのも之である。 勿....