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行啓
「行啓〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
行啓の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「藁草履」より 著者:島崎藤村
の御|喜悦《よろこび》は何程《どんな》でございましたろう――とうとう野辺山が原へ
行啓を仰出《おおせいだ》されましたのです。 壱 「爺《おやじ》、己《おれ....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
があるのと眺望の雄大なのに驚いた。 船上山――さすがは有名な史蹟だ。秩父宮様の
行啓の碑があった。 白山――白山を縦走してやろうと思って尾添から美女坂道を登る....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
三十四頭という呼声に成りました。殿下の御|喜悦は何程でしたろう。到頭野辺山が原へ
行啓を仰せ出されたのです」 以前私が仕立屋に誘われて、一夜をこの八つが岳の麓の....
「源氏物語」より 著者:紫式部
であるから、お二方のお心は、お逢いになったあとに長く悲しみが残った。東宮も同時に
行啓《ぎょうけい》になるはずであったがたいそうになることを思召《おぼしめ》して別....
「源氏物語」より 著者:紫式部
東宮は院の重い御病気と、御出家の御用意のあることをお聞きになって、お見舞いの
行啓をあそばされた。母君の女御もお付き添いして行った。殊寵があったわけではないが....
「『新新訳源氏物語』あとがき」より 著者:与謝野晶子
できるが、その頃の男の漢文の日記などに東宮時代の同帝がしばしば宇治の頼通の山荘へ
行啓になったことが書かれてある。後冷泉帝の御乳母が大弐の三位で、お供をして行って....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
は、この六月、皇太后陛下御下命の御用画の三幅双を完成いたしまして、折りから、京都
行啓中の陛下に、目出度く上納申し上げ得たからでございます。 新聞紙上に二十一年....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
古式を失っていたのを、大正十一年今上陛下のまだ皇太子殿下にましました際、この地に
行啓あり、当時同地出身のお歴々の斡旋で、古式を尋ねてこれを台覧に供し奉り、爾来ま....
「望郷」より 著者:服部之総
「平和を守る会」と小樽市の共催だった。みぞれまじりの夜の嵐をついて、往年の摂政宮
行啓を記念する檜《ひのき》造りの公会堂の、広さにくらべて座席の少い会場にほぼいっ....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
からまた海路を国境の安別まで続航するはずであった。ところが、ちょうど摂政宮殿下の
行啓と差合になるので、急に模様換えになって、そのまま北へ北へと直航することとなっ....