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「行在所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行在所の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思い出の記」より 著者:小泉節子
はやはり困ったように書いて居るそうでございます。御陵にも詣でました。後醍醐天皇の行在所の黒木山へも参りました。その側の別府と申すところでは菓子がないので、代りに....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
るまで幕府の門が開かなかったと云う。こんなやり方は如何にも勝元らしく、爾来東軍は行在所守護の任に当って、官軍と呼ばれ、西軍は止むを得ず賊軍となった。 宗全は斯....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
まって見ると、馬籠駅御昼食とのことである。西|筑摩の郡長、郡書記も出張して来て、行在所となるべき家は馬籠では旧本陣青山方と指定された。これには半蔵はひどく恐縮し....
パリの地下牢」より 著者:野上豊一郎
はその後ローマ帝国の支配の下に次第に繁栄し、村から町となり、しばしばローマ皇帝の行在所となり、重要な都市的機構を持つようになり、聖《サン》ドゥニ、聖ジュヌヴィエ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
国に所属して、壬申の乱のころは、この辺をワサミ郷と云ったらしい。つまり天武天皇の行在所があったところかも知れない。先程そう申しておいた場所です。 広瀬の河曲と....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
家の手が承け継いできたものである。吉野朝廷はその本来の都と文化とから離れてかりの行在所を山岳の地に据えられたのであるから、どうしてもその政治行動の理想はその本来....
私本太平記」より 著者:吉川英治
して、天皇以下、 「――事成り難し」 「ここも、安からねば」 と、即夜、ほかへ行在所を求めて、奈良を立ち出でて行ったことか。あわただしさのほど言いようもない。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
なされたには違いあるまい。 そのせいか、ずいぶんなお疲れでもあろうに、雲清寺の行在所では、帝のおん眉は明るかった。「――どこかには、わが身を見ている宮方がいる....
私本太平記」より 著者:吉川英治
名を選んで、 「今日、立て」 とばかり、西への使いに急がせた。 伯耆船上山の行在所――すなわち後醍醐のみかどのもとへ――ここの大戦捷を、上奏するための早馬だ....