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「行基〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行基の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
に参る者がなくなりました。陶器と申す物も唐土には古来から有った物ですが、日本では行基菩薩が始まりだとか申します。この行基菩薩という方は大和国菅原寺の住僧でありま....
千早館の迷路」より 著者:海野十三
ことに関係しているんです。今から四年前のこと、日本アルプスで、私の友人である古神行基という子爵が雪崩のために谿谷深くさらわれて行方不明になりました。救護隊も駆付....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
鳥は古巣へ帰れども、行きて帰らぬ死出の旅、今あの歌が聞えます、あの歌は、はじめに行基菩薩《ぎょうきぼさつ》というお方がおつくりなすった歌だから、あれを冥土《めい....
怪塔王」より 著者:海野十三
知れたものかと、一彦は夢のようにおどろきましたが、このとき塩田大尉は、ちょうど飛行基地から警察電話で、このふもと村へ昨日以来、何か聞きこんだことかまたは変ったも....
空中漂流一週間」より 著者:海野十三
戸川中尉とは、同期生だったのだ。そして嘗ては、ソ満国境を前方に睨みながら、前進飛行基地のバラックに、頭と頭とを並べて起伏した仲だった。 この二人は、無二の仲よ....
連環記」より 著者:幸田露伴
が、庭前灯下の二句は何様も行脚修業中のこととも想われる。薬王寺は碧海郡の古刹で、行基菩薩の建立するところである。何で寂心が三河に行ったか、堂寺建立の勧化の為だっ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
わち天照大神の御分身じゃ」 「天照大神はすなわち大日如来でいらせられると、たしか行基菩薩も左様に仰せでございました」 「は、は、は、お前さんのは、それは両部とい....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
考える。 殊に昔、支那や朝鮮の種族が、日本へ移住した数は尠なからぬので、既に僧行基が奈良のある寺で説教を試みた時、髪に豚の脂の匂いのする女が来て聴聞したという....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
い秘仏であるために、収穫がなかったのである。 私の見たものでは国分寺の本尊、伝行基作という薬師座像と観音立像がすばらしかった。伝行基という手前のせいか、これだ....
光は影を」より 著者:岸田国士
ら一度、ハノイから一度です。華中から、マレイ作戦に加わつて、それから、ビルマの飛行基地にやられたと思うと、すぐ仏印へ呼びもどされ、それからずつと、ハノイの基地に....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
見たのは大雄寺(ダイオージとよむ)の身長三尺ぐらいの小さな仁王一対と、国分寺の伝行基作という薬師座像と観音立像とヒダのタクミ自像二ツですが、大雄寺の仁王は日本一....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
ンドのバラモン僧正がいる。その船が大阪に入って来ますというとこれを迎えに出たのが行基菩薩、四天王寺にあった雅楽寮の楽師を率いて、海口に迎えました。行基菩薩が迎え....
本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
有功《いさお》村大字|六十谷《むそたに》及び同県那賀郡山崎村大字原では、昔から僧行基が誨《おし》えたと云う、『圧《ふせ》三昧』と称する葬法を用いている。その葬法....
法然行伝」より 著者:中里介山
山の良宴法印以下が各々《おのおの》その位によって列座したのである。昔奈良朝の時、行基菩薩はあれ程の大徳であったけれども、世俗の法によって婆羅門《バラモン》僧正の....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
めることもできなかった。この規定の如きは比較的厳格に※行せられて、養老元年には、行基の如き高僧すらが、歴門教化をしたり、食物以外の余物を乞うたり、街衢に罪福を説....