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「行徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道祖問答」より 著者:芥川竜之介
不肖ながら道命は、あらゆる経文論釈に眼《まなこ》を曝した。凡百《ぼんびゃく》の戒行徳目《かいぎょうとくもく》も修せなんだものはない。その方《ほう》づれの申す事に....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
やす」 「家はどこじゃ!」 「神田|鍛冶町《かじちょう》、御用お槍師《やりし》、行徳|助宗《すけむね》というが親でござりやす」 「よしッ。それだ! 伝六ッ」 ....
吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
ンボーの復讐《かたき》を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳《ぎょうとく》の俎《まないた》と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
総《しもうさ》の分だが、東葛飾《ひがしかつしか》だから江戸からは遠くねえ。まあ、行徳《ぎょうとく》の近所だと思えばいいのだ。そこに浦安《うらやす》という村がある....
初恋」より 著者:矢崎嵯峨の舎
たが、その本に出る人で……」とかの犬飼犬塚の両犬士が芳流閣上より転び落ちて、つい行徳へ流れついたことを話して、その犬士の流されたところもここらであろうかなどと話....
西瓜」より 著者:岡本綺堂
実が記されてあった。 原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳の浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事である....
顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
話がくどくていけねえ。助けたらこそ、こうしているんです。さもなけりゃあ、今ごろは行徳の沖あたりまでつん流れて行って、鰯にお尻を突つかれているころだ」 「まあ、面....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
り下谷で、北清島町からは何程もない稲荷町の宮彫師石川家に生まれた人です(稲荷町は行徳寺の稲荷と柳の稲荷と両つあるが、光明氏は柳の稲荷の方)。父親に早く別れ、祖父....
岩魚」より 著者:佐藤垢石
ことの不可能であるを知って、江戸城を脱け出し、金|櫃に似た数個の箱を運んで上総国行徳地先から舟に乗って家来十人ばかりと共に所領の上州群馬郡三の倉の邸へ志し、次第....
増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
たのである。 芝の霊廟は年に一度ずつ大掃除をした。この大掃除には、江戸川べりの行徳付近の百姓が人夫となってやってくる慣わしがあった。百姓は、モンペに似た短い袴....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
概がその以下に及ばないのはこの理由からである。)『八犬伝』の本道は大塚から市川・行徳・荒芽山と迂廻して穂北へ達する一線である。その中心点が大塚と行徳と荒芽山であ....
放水路」より 著者:永井荷風
た。 * 大正九年の秋であった。一日《いちじつ》深川の高橋から行徳《ぎょうとく》へ通う小さな汚い乗合《のりあい》のモーター船に乗って、浦安《う....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、京極の御息女所、志賀の花園の帰るさを、上人ちらと見そめ給い、妄想起りて、多年の行徳も潰え、火宅の執念に一切を喪い給う…… 「少し忘れたな」 武蔵はそう思い....
三国志」より 著者:吉川英治
、叱っていうと、于吉は水のごとく冷やかに、 「わしの得たる神書と、わしの修めたる行徳をもって、世人に幸福をわかち施すのが、なぜ悪いか、いけないのか、国主はよろし....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
京都以北においては、何の文献もまだ掘り出されていない。ただわずかに或る時代を下総行徳在の藤原という土地に一庵をむすんで住んでいたという伝説があるくらいなものだが....