行文[語句情報] » 行文

「行文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
骨を削りつつ歩む」より 著者:佐左木俊郎
州の方へ十日間ばかり旅行して、その時のことを学郎さんと二人で「甲斐の旅」という紀行文を作って、今村先生からほめられた事があった。それから、この年の二月、未だ病気....
行文家の群れ」より 著者:小島烏水
明治文壇には、紀行文家と称せられる一群の顔ぶれがあった。根岸派では、饗庭篁村が先達で、八文字舎風....
巴里のむす子へ」より 著者:岡本かの子
ばかりでなく、この間来たクルト・セリグマン氏の口からも、または横光|利一さんの旅行文、読売の巴里特派員松尾|邦之助氏の日本の美術雑誌通信でも親しく見聞きして嬉し....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
た通信の枚数は沢山だが、それで少しも修正の必要なく、文体も立派で、時に気焔万丈、行文の妙を極むるのであった。 『が、私は私の心が少しも利用されないとか、私の精神....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野下野道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
。 この「緑林黒白」こそは、日本、支那、朝鮮に輩出した巨盗大賊の伝記であって、行文の妙、考証の厳、新説百出、規模雄大、奇々怪々たる珍書であったが、惜しい事には....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
州に往った。『鶏』の一篇は鴎外が小倉に赴任当時の事実と観察との精密な叙述である。行文がまた頗る生彩に富んでいる。その中に夾竹桃が出て来る。 鴎外はその他に、も....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
のに、恐ろしくそらぞらしい空想によってこしらえあげられて、読むに堪えない。従軍紀行文的なもの(遅塚麗水「首陽山一帯の風光」)及び、戦地から帰った者の話を聞いて書....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いう。天智のとき来朝し、福徳の代にコマ郡に住んだが、その孫の福信は少年時代に伯父行文につれられて奈良の都へのぼり聖武から桓武に至る六朝に仕えたそうだ。伯父行文は....
翻訳の生理・心理」より 著者:神西清
るのは鴎外の晩年ちかい枯淡な味わいの訳文なのであろうが、その淡々として水のごとき行文を支えているものはやはり、昔の鴎外の厳正な風格にほかならない。あの平明な口語....
チェーホフの短篇に就いて」より 著者:神西清
入る――といったことを、彼は何も戯曲の中だけでやったのではないのである。 彼の行文は明晰で平明だ。言語学者の眼から見ると、殆んどスラヴ語のニュアンスを欠いてい....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
疑問」を、それぞれ発表したが如きみなこれである。近くは本年一月の東北帝大文科会発行文化の誌上において、「其の後の法隆寺に関する諸問題」と題して、主として会津八一....
フランケンシュタイン」より 著者:宍戸儀一
ロドーア』(一八三五年)等の作品を書いたり、夫シェリーの詩の編集に従事したり、紀行文を発表したりした。しかし、世界文学史のうえで独特の位置を永遠に要求するのは、....
宝島」より 著者:佐々木直次郎
出世作であるが、また彼の全作中でも最も高名な名作であることは周知の通りである。紀行文、随筆、短篇小説などにおける彼の数年間の文筆生活の後に、一八八一年の九月、ス....
文章を作る人々の根本用意」より 著者:小川未明
出来る。実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情叙景文、論文等も文章である。 こゝには主として後者即ち文学的味いを生....