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「行賞〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行賞の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
三つの窓」より 著者:芥川竜之介
うの海戦中の心もちなどを思い出していた。 「もう一度わたくしはお願い致します。善行賞はお取り上げになっても仕かたはありません。」 下士は俄に顔を挙げ、こう甲板....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
くなっていると、暫くしてパチパチの音も止んだ。これは近衛兵の一部が西南|役の論功行賞に不平を懐いて、突然暴挙を企てたものと後に判った。 やはり其の年の秋と記憶....
真田幸村」より 著者:菊池寛
原に間に合わせなかった話は、歴史的にも有名である。 関ヶ原役に西軍が勝って諭功行賞が行われたならば、昌幸は殊勲第一であったであろう。石田三成が約束したように、....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
一言には非常に感動したと云う(『惟澄文書』)。その謙抑知るべしだ。 戦後の論功行賞にしてもそうだが、尊氏や義貞に比して、正成は寧ろ軽賞である。それでも黙々とし....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
けに、残《のこ》んの色香《いろか》人を迷わしむるものがあって、浅井亡びた後の論功行賞としては、この美しい後家さんを賜わりたいということに、内心、織田の宿将どもが....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
を当世で行くんだ。石川丈山と言えば、お前は名を聞いていないかも知れないが、戦場の行賞の不平をたねに、知行を抛《なげう》って京都の詩仙堂というのへ隠れたのは表面の....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
くなっていると、暫らくしてパチパチの音も止んだ。これは近衛兵の一部が西南役の論功行賞に不平を懐いて、突然暴挙を企てたものと後に判った。 やはりその年の秋と記憶....
エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
の身代金は自分のポケットに収めることにすると、女王は宣言した。それでは兵隊たちの行賞の費用の出所がなくなるとエセックスが反対したって、耳をかす女王ではなかった。....
三国志」より 著者:吉川英治
賞には、これ一つで足りよう。他愛のないやつではある」 粋な父の丞相は、冀州陣の行賞として、甄氏を彼に賜わった。 冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に....
三国志」より 著者:吉川英治
爵授与の大令を発した。譜代の大将部将|幕賓はもちろん、降参の諸将にまでその封爵と行賞はあまねくゆきわたった。 封爵、栄進の恩に浴した将軍たちの名はいちいち挙げ....
三国志」より 著者:吉川英治
いうことであった。 かくて呉の国防力にはさらに不落の自信が加えられた。その論功行賞にあたって、戦功第一に推された者は、孫権の甥の孫韶だった。 「果敢、敵地に入....
私本太平記」より 著者:吉川英治
心、千種忠顕、北畠親房、等々、あまたな公卿武士らの殊勲者にたいしては、それの論功行賞も、目前の懸案として、さっそく公布のはこびをつけねばならない。 まさに、あ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ろこんでもいず、また無頓着なほうでもあった。そしてこのさいは、諸将の功にむくいる行賞などの方にむしろ興味があったらしい。彼は、尻尾を振ってよろこぶ者を見るのが第....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
隙だったからこそ成功したものといえよう。が、そんな孤立的な蔭の功は、えてして戦後行賞や時人にはみとめられないものだ。しかし私たちは何も建武行賞の餌を争う者ではな....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
時にひらかれました。兵火は、一時やんでも、戦後戦は、なお冷たく戦われている。論功行賞の不平やら、少納言信西入道の独裁振りやら、またなお、わが世の春を夢みる藤原貴....