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「行通〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

行通の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
を好まず、むしろ我が軍の右翼をアーヘンとリンブルグ州の南端の間の狭小なる地区を強行通過する技術上の大困難を甘受する事とした。この行動を可能ならしむるためにはリュ....
婦系図」より 著者:泉鏡花
お前の薄情は帳消は出来ん。なぜこっちから尋ねんのだ。こんな稼業だから、暇が無い。行通はしないでも、居処が分らんじゃ、近火はどうする! 火事見舞に町内の頭も遣らん....
沼夫人」より 著者:泉鏡花
らむは、輝く玉が入ると見えて、肩を伝い、腕を繞り、遍く身内の血と一所に、月の光が行通れば、晃々と裳が揺れて、両の足の爪先に、美い綾が立ち、月が小波を渡るように、....
薬草取」より 著者:泉鏡花
も、 「しかし一体、医王というほど、此処で薬草が採れるのに、何故世間とは隔って、行通がないのだろう。」 「それは、あの承りますと、昔から御領主の御禁山で、滅多に....
壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
後裔だというのであった。平家の落武者がこの里に隠れ住む事|歳久しく、全く他郷との行通を絶って、桃源武陵の生活をしていたのだけれど、たまたま三面川に椀を流したのか....
夜の構図」より 著者:織田作之助
一時間前までは、信吉と伊都子は赤の他人であった。伊都子は信吉にとって、まるで急行通過駅の如き存在に過ぎなかった。が、一時間後、並んでホテルを出た時には、もう信....
無惨」より 著者:黒岩涙香
は陳施寧と云い長く長崎に居て明治二十年の春、東京へ上り今では重に横浜と東京の間を行通いして居ると云います夫に其気象は支那人に似合ぬ立腹易くて折々人と喧嘩をした事....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
いのである。馬丁に手綱をとらせず、一人で走り去る時は、散策もあるかも知れぬが、銀行通いのような人に知られたくない用件があってのことだ。彼はこまかい金で一ヶ月の生....
宝島」より 著者:佐々木直次郎
を忘れていたが、シルヴァーは財産家です。小生は彼がまだ一度も借越したことのない銀行通帳を持っているのを知っています。彼は細君を残して宿屋の方をやらせるそうだ。そ....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
何ですぜ、お前さんの処とは絶交ですぜ」 婆「絶交でも何でも連帰りやすべえ」 七「行通いしませんよ」 婆「当りまえ、おらア方で誰が来べえ、お前さんのような女房が死....
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
めて三十両の金を出すと、新吉は幸い金が欲《ほし》いから、兄と縁を切って仕舞って、行通《ゆきかよ》いなし。新吉は此の金を持って遊び歩いて家《うち》へ帰らぬから、自....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
に、松川が教えてくれたのだ。鹿島の海岸は処女地だ、九十九里の浜どころではない、旅行通を以て任ずるやからでも、まだ鹿島灘を見ないやつがいくらもある、よほどの変り者....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことはしません。 そうしているうちに、この一座が、太功記十段目一幕をとうとう本行通りこなしてのけてしまったのには、さすがの道庵先生が舌を捲きました。案外の上出....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
さいと言ったら、手形を見せろというから、そこでおれが言うには、御覧の通り江戸を歩行通りのなりゆえ、手形は心づかず、稽古先より計らず思いついて、上方へ修行に上り候....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
テ居タガ、六月カ五月末カト思ッタガ、九州ヨリ虎ガ兄弟ガ江戸ヘキタカラ、毎日毎日、行通イシテ、世話ヲシテ、江戸ヲ見セテ歩イタ、虎ノ兄ノ金十郎トイウ男ハ、万事オレ次....